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アドラーとフランクルの違い――幸福と人生の意味
「どうすれば幸せに生きられるのだろう」。そして、「自分の人生にはどんな意味があるのだろう」。
この二つは似ているようで、少し違う問いです。
幸せを感じていても、「この人生に意味はあるのだろう」と考えることがあります。反対に、意味のあることをしていると思っていても、必ずしも毎日が楽しいとは限りません。
この「幸福」と「人生の意味」を考えるうえで、興味深い比較ができるのがアルフレッド・アドラーとヴィクトール・フランクルです。
アドラーは、人間を他者との関係の中で捉え、劣等感、共同体感覚、人生の課題などを考えました。フランクルは、人間が具体的な状況の中で意味を見いだすことを重視し、ロゴセラピーを発展させました。
二人には接点もあります。フランクルは若い頃にアドラー心理学へ接近し、アドラーの周辺で活動した時期もありました。しかし、その後は独自の道へ進んでいきます。
では、アドラーとフランクルは何が似ていて、何が違うのでしょうか。
この記事では、「幸福」「人生の意味」「自由」「責任」「苦しみ」「他者との関係」という身近なテーマから、二人の思想を初心者にもわかりやすく比較します。
まず、アドラーとフランクルはどんな人物?
二人の違いを理解する前に、それぞれの思想を簡単に確認しておきましょう。
アドラーとは?
アルフレッド・アドラーは、オーストリア出身の医師・精神科医で、「個人心理学」を築いた人物です。
アドラーは、人間の行動を過去の原因だけから説明するのではなく、その人がどこへ向かおうとしているのか、どのような目的やライフスタイルを持っているのかを重視しました。
また、人間は一人で完結する存在ではなく、仕事、友人関係、愛など、他者との関係の中で生きる存在だと考えました。
アドラーを理解するうえで重要なのは、「自分の人生を生きること」と「他者とともに生きること」が切り離されていない点です。
フランクルとは?
ヴィクトール・フランクルは、オーストリアの精神科医・神経科医で、「ロゴセラピー」と呼ばれる心理療法を発展させた人物です。
フランクルは、人間には快楽だけでも権力だけでもなく、「意味を求める」という根本的な方向性があると考えました。これが「意味への意志」と呼ばれる考え方です。
人生全体に一つの固定された意味があるというより、それぞれの具体的な状況の中に、その人が発見し実現できる意味の可能性があると考えたところに特徴があります。
著書『夜と霧』で広く知られていますが、ロゴセラピーの基本的な思想は強制収容所での体験だけから生まれたものではなく、それ以前から形成されていました。
フランクルはアドラーの弟子だったの?
アドラーとフランクルには、単なる思想上の比較だけでなく、実際の歴史的なつながりがあります。
若いフランクルは精神分析や個人心理学に関心を持ち、アドラーの学派とも交流しました。しかし、やがて考え方の違いが明確になり、アドラー派から離れて独自の思想を発展させていきます。
そのため、フランクルを単純に「アドラーの弟子」として説明するより、アドラー心理学から影響を受けながらも、そこから独自の「意味」の心理学へ進んだ人物と考えるほうが分かりやすいでしょう。
この背景を知ると、二人に共通点がある一方で、なぜ重要な違いも生まれたのかが見えてきます。
アドラーとフランクルの共通点① 人間を「過去だけ」で決めない
二人に共通しているのは、人間を過去の出来事だけによって決定される存在とは考えないことです。
アドラーは、過去に何が起きたかだけでなく、「今、その経験をどのように意味づけ、どこへ向かおうとしているのか」を重視しました。
フランクルもまた、環境や過去の影響を無視したわけではありません。しかし、人間を条件に完全に支配される存在として見ることにも反対しました。
どちらも、「何が起きたか」だけではなく、「その状況に対して今どう向き合うか」という人間の可能性を重視しています。
ただし、アドラーは目的や対人関係の中でそれを考え、フランクルは意味や態度という方向から考えます。
アドラーとフランクルの共通点② 人間は孤立して生きる存在ではない
アドラーでは「共同体感覚」が重要です。自分が共同体の一員であり、他者を仲間として捉え、何らかの形で役立つ存在として生きることが重視されます。
フランクルにも、自分の内面だけに閉じこもるのではなく、自分を超えたものへ向かう「自己超越」という重要な考え方があります。
仕事や創造、愛する人、価値あるものなど、自分自身以外の何かへ向かうことで、人間は意味を実現していくと考えました。
二人とも、「自分だけを見つめ続ければ人生が完成する」とは考えていません。
自分を超えて他者や世界へ関わるところに、人間の生の重要な部分を見ています。
アドラーとフランクルの共通点③ 「どう生きるか」を重視する
アドラーもフランクルも、単に人間の心を説明するだけではなく、「では、私たちはどう生きるのか」という実践的な問いを持っています。
アドラーでは、自分の課題を引き受け、他者と協力しながら人生の課題へ向かうことが重要になります。
フランクルでは、「人生に何を期待するか」だけではなく、具体的な状況に対して自分がどう応答するのかが問われます。
二人とも、人間を「ただ起きたことに反応する存在」ではなく、何らかの態度や方向を取る存在として捉えています。
ここが、現代の私たちが二人の思想を日常の悩みに応用しやすい理由の一つです。

最大の違い① アドラーは「幸福」をどう考える?
アドラー心理学では、幸福について考えるとき、他者との関係を切り離すことができません。
日本では「幸福とは貢献感である」と簡潔に紹介されることがありますが、アドラーの思想をそれだけに縮めてしまうのは注意が必要です。
重要なのは、自分が共同体の一員として生き、他者を敵ではなく仲間として捉え、現実の中で役立つ方向へ参加していくことです。
アドラーにとって幸福は、「自分だけが気分よくなること」よりも、他者とのつながりや協力の中で生きられることと深く関係しています。
だから、アドラー心理学を「人の目を気にせず好き勝手に生きればいい」という思想として理解するのは適切ではありません。
最大の違い② フランクルは「人生の意味」をどう考える?
フランクルの中心にあるのは、「人生にはどんな意味があるのか」という問いです。
ただし、フランクルは「すべての人に共通する人生の意味はこれです」と一つの答えを示したわけではありません。
人生の意味は、その人、その瞬間、その具体的な状況によって異なると考えます。
仕事を完成させることが意味になる場合もあります。誰かを愛することが意味になる場合もあります。避けることのできない苦しみの中で、どのような態度を取るかが問われる場合もあります。
フランクルにとって大切なのは、「人生全体の正解を見つけること」ではなく、「今この状況にどんな意味の可能性があるか」を発見し、応答することです。
アドラーは「幸福」、フランクルは「意味」なの?
分かりやすく整理すると、「アドラーは幸福を考え、フランクルは意味を考えた」と言いたくなります。
しかし、実際にはそれほど単純ではありません。
アドラーにも「人生の意味」というテーマがありますし、フランクルも幸福について語っています。
違うのは、どこに中心を置いているかです。
アドラーでは、人間の社会的なつながり、協力、人生の課題が中心にあり、フランクルでは、具体的な状況の中で意味へ向かう人間のあり方が中心にあります。
「幸福」と「意味」を完全に分離するのではなく、それぞれの思想の重心の違いとして考えると理解しやすくなります。
違い③ 「人生の目的」をどう考える?
アドラー心理学では「目的論」がよく知られています。
これは、人間の行動を過去の原因だけで説明するのではなく、「今、何を目的としてその行動をしているのか」という視点から理解する考え方です。
たとえば、「自信がないから人前に出られない」という説明だけではなく、「失敗して傷つかないために、人前へ出ないという行動を選んでいる可能性はないか」と考えます。
一方、フランクルの「意味」は、その人が好き勝手に目的を設定すればよいという話ではありません。
アドラーが「人はどこへ向かって行動しているのか」を見るのに対し、フランクルは「この具体的な状況に、どんな意味の可能性があるのか」を問う。
「目的」と「意味」は似ているようで、同じではありません。
違い④ 自分で意味を作るのか、意味を発見するのか
フランクルを「人生の意味は自分で作ればいい」と説明することがありますが、これはフランクルの立場とは少し異なります。
フランクルは、意味をその場しのぎで自由に作り出すものというより、具体的な人生の状況の中から発見されるものとして考えました。
たとえば、「今日は友人との約束を守る」「目の前の仕事を完成させる」「大切な人に向き合う」といった状況に、自分が応答すべき意味があるかもしれません。
フランクルにとって人生は、「好きな意味を貼りつける対象」というより、「自分が何を求められているのかを問い返される場」でもあります。
この点は、アドラーの目的論との違いを考えるときにも重要です。
違い⑤ 「劣等感」をどう考える?
劣等感は、アドラーを代表するテーマの一つです。
アドラーは、劣等感それ自体を悪いものとは考えませんでした。自分の不足や現在の状態と理想との隔たりを感じることが、よりよい方向へ進む力になる場合があるからです。
問題になるのは、劣等感を「自分にはできない」という言い訳として使い、人生の課題から退いてしまうときです。
フランクルの中心テーマは劣等感ではありません。
アドラーが「自分の不足感をどう建設的な方向へ使うか」を考えるのに対し、フランクルでは「自分を超えて、どんな意味や価値へ向かうか」がより前面に出ます。
自分に自信がないとき、アドラーとフランクルでは問いの方向が少し変わるのです。
違い⑥ 「苦しみ」をどう考える?
フランクルを語るとき、苦しみというテーマは避けて通れません。
ただし、フランクルは「苦しめば苦しむほど人生に意味がある」と考えたわけではありません。
変えられる苦しみなら、変える努力をする。避けられる苦しみなら、避けることも大切です。
それでもどうしても避けることのできない苦しみに直面したとき、人間には「その苦しみにどのような態度を取るか」という可能性が残る場合があるとフランクルは考えました。
苦しみそのものに価値があるのではなく、避けられない苦しみに対しても、人間には態度という意味の可能性が残り得る。
アドラーにも困難への向き合い方はありますが、避けられない苦しみの中での「意味」をここまで思想の中心に据える点は、フランクルの大きな特徴です。
違い⑦ 「自由」をどう考える?
アドラーもフランクルも、人間の自由を重要視します。
ただし、どちらも「人間は何でも自由に選べる」と考えているわけではありません。
アドラーでは、過去や環境によって完全に運命づけられているという見方から距離を取り、自分のライフスタイルや人生の課題にどう向き合うかを考えます。
フランクルでも、人間が環境から完全に自由だとは考えません。病気、社会、身体、歴史など、自分では選べない条件があります。
それでもフランクルは、「条件から自由」ではなく、「条件に対してどんな態度を取るか」という自由の可能性を重視しました。
二人とも自由を語りますが、フランクルでは「態度を取る自由」というテーマがより明確に現れます。
違い⑧ 「責任」とは何か
自由を考えると、責任という問題も出てきます。
アドラー心理学では、自分の課題と他者の課題を区別し、自分が引き受けるべき人生の課題へ向かうことが重要になります。
フランクルにとっても、自由は好き勝手に選ぶことではありません。自由には、具体的な状況に対して応答する責任が伴います。
フランクルの「責任」は、「人生の問題は全部自分の責任だ」という自己責任論ではありません。
むしろ、「今この状況に対して、自分にできる応答は何か」という問いに近いものです。
二人とも、人間の主体性を重視しますが、それを「全部あなた次第」と突き放す思想として読むべきではありません。
違い⑨ 「他者との関係」をどう考える?
アドラーでは、他者との関係が思想の中心にあります。
仕事、友人関係、愛という人生の課題も、すべて他者との関わりを含みます。共同体感覚もまた、他者とのつながりなしには成立しません。
フランクルも愛や他者との関係を非常に重要視しています。特に、愛によって一人の人間の固有性や可能性に向き合うことは、意味を実現する重要な道の一つです。
ただ、アドラーでは「社会的な存在として他者と協力すること」が強く前面に出るのに対し、フランクルでは「自分を超えて他者や意味へ向かうこと」が中心になります。
ここにも、似ているようで少し違う方向性があります。
アドラーの「他者貢献」とフランクルの「自己超越」は同じ?
アドラーの他者貢献と、フランクルの自己超越は、似ているように見える概念です。
どちらも「自分のことばかり考えず、他者や世界へ向かう」という点では共通しています。
しかし、同じ概念ではありません。
アドラーでは、共同体の中で他者と協力し、自分が役立つ方向へ参加することが重要になります。
フランクルの自己超越は、自分自身を超えて、仕事、使命、愛する人、価値などへ向かう人間の根本的なあり方を表します。
アドラーでは「共同体への参加」、フランクルでは「自己を超えて意味へ向かうこと」に、それぞれ重点があります。
この違いを意識すると、二人を単純に「人のために生きようと言った思想家」とまとめずに済みます。
幸せになりたいとき、アドラーならどう考える?
「どうすれば幸せになれるのだろう」と考えたとき、アドラーからはまず人間関係を見直す問いが見えてきます。
誰かに認められるためだけに生きていないか。他人との比較によって自分の価値を決めていないか。自分のことだけではなく、周囲と協力できているか。
また、「幸福になりたい」という目的だけに意識を集中させるよりも、仕事、友人関係、愛など、目の前の人生の課題にどのように参加しているかが重要になります。
アドラーから考えると、幸福は「自分の内側だけで完成する感情」ではなく、他者とともに生きるあり方と深く結びついています。
人生に意味がないとき、フランクルならどう考える?
「何のために生きているのか分からない」と感じたとき、フランクルは「人生全体の意味を今すぐ答えなければならない」とは考えません。
むしろ、問いを具体的な状況へ戻します。
今、自分にできる仕事は何か。大切にしたい人はいるか。どんな経験を受け取れるか。変えられない現実に対して、どのような態度を取ることができるか。
「人生にはどんな意味がある?」という大きな問いを、「今、この人生は自分に何を求めている?」という問いへ変えてみる。
ここにフランクルらしい方向があります。
幸せではないけれど、意味のある人生はある?
アドラーとフランクルを比較すると、「幸福」と「意味」は同じなのかという疑問が浮かびます。
たとえば、大切な人を介護している時間を考えてみましょう。毎日が楽しいとは限りません。疲れや苦しさもあるでしょう。
それでも、その行為に深い意味を感じる人はいます。
反対に、とても楽しい生活を送っていても、「自分は何のために生きているのだろう」と空虚さを感じることもあります。
幸福と意味は重なることもありますが、完全に同じものではありません。
この違いを考えるとき、アドラーとフランクルを並べて読むことがとても面白くなります。
フランクルは「意味があれば幸せになれる」と言っている?
フランクルを、「人生の意味を見つければ幸せになれる」と理解するのも少し違います。
フランクルは、幸福を直接追いかければ必ず手に入るものとは考えませんでした。
むしろ、人間が自分を超えて、意味のある仕事や人、価値へ向かうとき、幸福が結果として生じることがあると考えます。
「幸せになること」を直接の目的にするより、「自分が何へ向かうのか」を大切にする。
この点では、幸福だけを自分の内側で探そうとしないという意味で、アドラーとの興味深い共通点もあります。
仕事がつらいとき、アドラーとフランクルならどう考える?
たとえば、「仕事がつらくて、毎日辞めたい」と感じているとします。
アドラーから考えるなら、仕事を一つの人生の課題として捉えます。自分は何に苦しんでいるのか、他者との関係はどうなっているのか、評価されることだけを目的にしていないか、自分が引き受ける課題と他者の課題を混同していないかを考えることができます。
フランクルから考えるなら、「この仕事には絶対に意味がある」と無理に考える必要はありません。
今の仕事で実現できる意味はあるのか。それとも、環境を変えること自体が自分に求められている応答なのか。具体的な状況から考えます。
アドラーからは「仕事という課題や人間関係とどう向き合うか」、フランクルからは「今この状況で、どんな意味ある応答が可能か」という問いを受け取ることができます。
人から認められたいとき、二人ならどう考える?
「頑張ったから褒められたい」「もっと評価されたい」と感じるのは自然なことです。
アドラー心理学では、承認を受けること自体を否定する必要はありません。しかし、他者から認められることだけが人生の目的になると、自分の行動が他者の評価に支配されやすくなります。
フランクルから考えるなら、「人から評価されるか」ではなく、「自分が向かっているものに意味があるか」という方向へ視線を変えることができます。
アドラーは「他人の評価だけで生きない」、フランクルは「評価よりも、自分を超えた意味へ向かう」と考えるヒントを与えてくれます。
自分に自信がないとき、二人ならどう考える?
「自分には価値がない」「もっと自信があれば行動できるのに」と感じることがあります。
アドラーからは、劣等感を理由に人生の課題から退いていないかを考えることができます。完璧な自分になってから行動するのではなく、不完全なままでも一歩を踏み出す勇気が問題になります。
フランクルからは、「自分には価値があるか」という自己評価から一度視線を外し、「今、自分が応答できる人や仕事や意味は何か」と考える方向が見えてきます。
アドラーは「不完全な自分でも人生へ参加できるか」、フランクルは「自分自身への執着を超えて、何へ向かえるか」と問いかけます。
自信を十分に手に入れてから生きるのではなく、行動や意味への関わりの中から自分との関係が変わることもあります。
つらい出来事が起きたとき、二人ならどう考える?
人生には、自分では選べない出来事があります。
病気、別れ、失敗、喪失など、考え方を変えるだけでは消えない現実もあります。
アドラーから考えるなら、起きた出来事だけで未来が完全に決まるわけではなく、自分がその経験をどう意味づけ、今後どの方向へ進むかが重要になります。
フランクルでは、さらに「その状況を変えられるか」を区別します。変えられるなら変える。避けられる苦しみなら避ける。
そして、本当に避けることができない苦しみに対しては、どんな態度を取る可能性が残っているかを考えます。
どちらも「つらいことには必ず良い意味がある」と安易に考える思想ではありません。
現実を変える行動と、変えられない現実への態度を区別することが大切です。
人生の意味を見つけられないとき、アドラーからも考えられる?
「人生の意味」というとフランクルが有名ですが、アドラーにも人生の方向を考えるヒントがあります。
アドラーでは、「自分は人生をどう捉えているのか」というライフスタイルや、仕事・友人関係・愛といった人生の課題が重要です。
「人生の意味は何だろう」と抽象的に考え続けるより、自分が他者とどう関わり、目の前の課題へどう参加しているかを見ることができます。
フランクルが「意味の可能性」を問い、アドラーが「社会的な人生への参加」を問うことで、人生の意味を違う角度から考えることができます。
「幸せになりたい」と思いすぎると苦しくなる?
現代では、「幸せにならなければならない」というプレッシャーがあります。
SNSを見ると、楽しそうな旅行、充実した仕事、恋愛、家族、趣味などが次々と目に入ります。それと自分を比較して、「自分だけ幸せではない」と感じることがあります。
しかし、幸福を直接つかもうとすればするほど、「まだ幸せではない自分」に意識が向いてしまうことがあります。
アドラーからは、他人との比較ではなく、自分が他者とどのように関わり、人生へ参加しているのかを見る視点が得られます。
フランクルからは、幸福そのものを追いかけるのではなく、自分を超えた意味へ向かうという視点が得られます。
二人とも、「自分は今どれくらい幸せか」だけを見続けることから、少し外へ視線を向けさせてくれます。

アドラーとフランクルから考えたい7つの問い
1.自分は「幸せになること」だけを目標にしていない?
幸せかどうかを毎日確認するより、今どんな人や仕事や価値に向かっているかを考えてみます。
2.今の悩みは、自分の課題?それとも他者の課題?
他人からどう評価されるかなど、自分だけでは決められないことまで抱え込んでいないかを見直します。
3.自分が今向き合っている人生の課題は何?
仕事、友人関係、愛など、抽象的な「人生」ではなく、目の前にある具体的な関係から考えてみます。
4.「人生の意味」を大きく考えすぎていない?
一生を貫く壮大な使命ではなく、今日この状況で実現できる意味に問いを小さくしてみます。
5.自分のことばかり考えて苦しくなっていない?
自分を評価し続けるのではなく、今向かえる人、仕事、経験、価値へ視線を移してみます。
6.変えられる苦しみを「運命」として我慢していない?
環境を変える、離れる、助けを求めるなど、現実を変える選択肢がないかを先に考えます。
7.今、この状況に対して自分にできることは何?
人生全体の答えではなく、今の一歩へ問いを戻します。
「自分は幸せか?」だけではなく、「今、自分は何に向かって生きることができる?」
アドラーとフランクルを一緒に読むと、そんな問いが見えてきます。
アドラーとフランクルは、どちらを読めばいい?
どちらか一人を「正解」にする必要はありません。
人間関係に疲れている。他人の評価が気になる。劣等感が強い。自分の課題と他人の課題を分けられない。そんなときには、アドラーが考える入口を与えてくれるでしょう。
一方、「人生に意味を感じられない」「何のために生きているのか分からない」「苦しい状況の中でどう生きればいいのか」と考えているなら、フランクルの問いが響くかもしれません。
アドラーは「他者との関係の中で、どう人生へ参加するか」を、フランクルは「この具体的な人生に、どう意味をもって応答するか」を考えるとき、大きなヒントを与えてくれます。
そして実際には、人生には人間関係の問題と意味の問題が同時に現れることがあります。
だからこそ、二人を並べて読む価値があります。
幸福と人生の意味は、どちらが大切?
「幸福と人生の意味なら、どちらを優先すべきなのだろう」と考えるかもしれません。
しかし、この二つを競わせる必要はありません。
意味のある人生がいつも楽しいとは限りません。幸福を感じる瞬間がすべて壮大な意味を持つ必要もありません。
大切な人と食事をして「幸せだ」と感じることがあります。その時間には、同時に愛する人と関わるという意味もあるかもしれません。
つらい仕事を終えたとき、楽しくはなくても「やるべきことを果たした」と意味を感じる場合もあります。
幸福と意味は別の問いですが、実際の人生では重なり合うことがあります。
アドラーとフランクルを比較することは、「どちらが正しいか」を決めることではなく、自分が人生の何を見落としているのかを知ることにつながります。
まとめ|アドラーは「ともに生きる」、フランクルは「意味へ向かう」
アドラーとフランクルは、ともにウィーンで精神医学・心理療法の世界に関わり、人間を過去だけで決められる存在として捉えなかったという共通点があります。
しかし、二人の思想には重要な違いがあります。
アドラーでは、劣等感、目的、ライフスタイル、人生の課題、共同体感覚などを通して、「他者とともに、どのように人生へ参加するか」が大きなテーマになります。
フランクルでは、意味への意志、自己超越、自由と責任、苦しみへの態度などを通して、「今この具体的な状況にある意味へ、どのように応答するか」が重要になります。
アドラーからは、他人との比較や承認に人生を預けるのではなく、自分の課題へ向かい、他者と協力することを考えられます。
フランクルからは、「人生の意味は何だろう」と答えを待つだけではなく、今この瞬間に自分が向かえる人、仕事、価値を考えることができます。
幸福だけを追いかけても、どこか空虚に感じることがあります。
意味だけを追いかけて、自分に「意味のある人生を送らなければならない」とプレッシャーをかけてしまうこともあります。
だからこそ、「幸せになるには?」と「何のために生きる?」という二つの問いを、行き来しながら考えてみる。
それが、アドラーとフランクルを一緒に読む面白さです。
もし今、幸せになれないことに焦っているなら、アドラーから「自分は誰と、どのように生きているのか」と考えてみる。
もし人生の意味が分からなくなっているなら、フランクルから「今、この状況で自分にできる応答は何だろう」と考えてみる。
そして、ときには二人の問いを一つにしてみます。
「自分は、誰とともに、何に向かって生きたいのだろう?」
すぐに答えが出なくても構いません。
問いを持つことで、いつもの仕事、人間関係、日常の風景が少し違って見えてくることがあります。
「哲学を学ぶことを、もっと日常に。」