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アドラー心理学における「自由」とは?
「もっと自由に生きたい」
そう思ったことはないでしょうか。
やりたい仕事をする。
好きな場所で暮らす。
誰にも指図されない。
好きなことだけをする。
私たちは「自由」という言葉から、
「自分の好きなように生きられること」
を想像しがちです。
しかし、本当にそれだけが自由なのでしょうか。
好きな仕事をしていても、
人からどう評価されるかばかり気にしている。
好きな服を選べるのに、
周囲からどう見られるかが怖くて着られない。
自分で人生を選べるはずなのに、
「親がこう言ったから」
「過去に失敗したから」
「自分はこういう性格だから」
と、選択肢を閉ざしてしまう。
外から見れば自由でも、
心の中では、
誰かの評価や過去に縛られている
ことがあります。
アドラー心理学から「自由」を考えるとき、大切になるのは、
「自分の人生を、何に決めてもらっているのか」
という問いです。
この記事では、アドラー心理学における自由とは何なのか、承認欲求や課題の分離、ライフスタイル、自己決定との関係を交えながら、初心者にもわかりやすく解説します。
アドラー心理学における「自由」とは?
アドラー心理学から自由を考えるなら、
重要なのは、
「自分の人生について、自分が引き受けられる部分を主体的に選択すること」
です。
私たちは、
何もないところから自由に人生を作れるわけではありません。
生まれた国。
家庭。
身体。
過去の出来事。
社会環境。
他者の存在。
自分では選べなかったものがたくさんあります。
しかし、
アドラー心理学では、
そうした条件から影響を受けながらも、
人間はそれらによって一方的に決定される存在ではない
と考えます。
つまり、
「過去にこうだった」
ということと、
「だから未来も必ずこうなる」
ということは同じではありません。
ここに、
アドラー心理学から自由を考える大きなヒントがあります。
自由とは「好き勝手に生きること」ではない
「自由に生きる」
というと、
「誰の言うことも聞かなくていい」
「自分さえよければいい」
「嫌なことは全部やらなくていい」
と思うかもしれません。
しかし、
アドラー心理学が目指している人間像は、
そのようなものではありません。
人間は、
他者とともに生きる社会的な存在です。
だから、
自分の課題には責任を持つ。
必要なところでは他者と協力する。
共同体の中で自分にできることをする。
そうした生き方が重視されます。
つまり、
自由と責任は切り離せない
のです。
「自由」と「わがまま」は違う
たとえば、
仕事で、
「自由に生きたいから、嫌な仕事は全部他人に任せる」
という人がいたとします。
これは、
自分にとっては自由に見えるかもしれません。
でも、
誰かがその仕事を引き受けています。
アドラー心理学では、
自分の課題を引き受けながら、
他者と協力して生きることを大切にします。
だから、
自由とは、
責任から逃げるための言葉ではありません。
自分で選ぶ。
そして、
自分が選んだことについて、
引き受けるべき責任を引き受ける。
ここまで含めて考える必要があります。
他人の評価から自由になる
私たちを不自由にするもののひとつが、
他人からの評価
です。
「嫌われたくない」
「変な人だと思われたくない」
「認められたい」
「すごいと思われたい」
そう考えること自体は、
珍しいことではありません。
でも、
他人からどう評価されるかを、
人生の最優先事項にするとどうなるでしょうか。
着たい服ではなく、
褒められそうな服を選ぶ。
やりたい仕事ではなく、
親が喜びそうな仕事を選ぶ。
言いたいことではなく、
嫌われなさそうなことを言う。
すると、
人生の選択基準が、
「私はどうしたい?」
ではなく、
「他人はどう思う?」
になります。
承認欲求が自由を奪うとき
人から認められることは、
嬉しいものです。
褒められたら嬉しい。
評価されたら自信がつく。
だから、
承認を求める気持ちそのものを、
無理に消す必要はありません。
問題になるのは、
「認められなければ、自分には価値がない」
となったときです。
すると、
自分の行動が、
すべて他人の評価に左右されます。
褒められるからやる。
評価されないならやらない。
嫌われそうだから言わない。
つまり、
人生の主導権を、
他人の評価に渡してしまう
ことになります。
「嫌われること」と自由
アドラー心理学について学んでいると、
「嫌われる勇気」
という言葉に出会うでしょう。
ここで誤解したくないのは、
「嫌われれば自由になれる」
という意味ではないことです。
わざと嫌われる必要はありません。
他人を傷つける必要もありません。
大切なのは、
自分が誠実に生きても、
すべての人から好かれることはコントロールできない
と理解することです。
自分がどれだけ丁寧に接しても、
嫌う人はいるかもしれません。
逆に、
好きになってくれる人もいるでしょう。
他者の評価そのものを、
完全にコントロールすることはできません。
自由と「課題の分離」
ここで、
課題の分離とつながります。
たとえば、
あなたが新しい仕事に挑戦するとします。
親は、
「そんな仕事はやめたほうがいい」
と言うかもしれません。
友人は、
「絶対うまくいかない」
と言うかもしれません。
もちろん、
意見を聞くことはできます。
でも、
最終的にその仕事を選び、
その結果を引き受けるのは誰でしょうか。
自分自身です。
一方、
その選択を見た親や友人が、
どう思うか。
それは、
相手側の問題でもあります。
この境界を整理すると、
「他人の反応を完全にコントロールしなくても、自分の課題に取り組める」
という余地が生まれます。
課題の分離は「他人を無視すること」ではない
ここで注意が必要です。
課題の分離を、
「他人がどう思おうと知ったことではない」
と理解してはいけません。
それでは、
協力的な関係から離れてしまいます。
相手の意見を聞く。
必要なら話し合う。
自分の気持ちも伝える。
助けが必要なら協力する。
そのうえで、
誰が何について責任を持つのかを整理する。
課題の分離は、
人間関係を切り捨てるためではなく、
より適切に協力するための準備
なのです。
自由と「自己決定」
アドラー心理学では、
人間を、
過去や環境に一方的に決定される存在とは考えません。
もちろん、
遺伝も。
家庭環境も。
過去の経験も。
社会も。
私たちに影響します。
それらを、
「関係ない」
と考えるわけではありません。
重要なのは、
「影響を受けること」と「すべてを決定されること」は違う
ということです。
この考え方が、
アドラー心理学の自己決定性につながります。
「過去がある」と「過去に決められている」は違う
たとえば、
子どものころ人間関係で傷ついた人がいるとします。
その経験は、
消すことができません。
今の人間関係にも、
影響しているかもしれません。
でも、
「過去に傷ついた」
という事実と、
「だから一生誰も信じられない」
という結論は同じではありません。
今まで、
「人を信じない」
という方法で自分を守ってきた。
それなら、
まずそのことを理解する。
そのうえで、
「これからも同じ方法を使う?」
と考える。
ここに、
選択の余地があります。

自由と「ライフスタイル」
ここで、
ライフスタイルともつながります。
アドラー心理学におけるライフスタイルとは、
一般的な生活習慣ではなく、
その人独自の考え方・意味づけ・行動のパターン
です。
たとえば、
「失敗してはいけない」
というライフスタイルを持っている人がいます。
すると、
挑戦しない。
完璧になるまで行動しない。
人前に出ない。
という行動を繰り返すかもしれません。
本人は、
「私は慎重な性格だから」
と思っているかもしれません。
でも、
それを固定された性格ではなく、
これまで使ってきた生き方のパターン
として見る。
すると、
「違う方法を試す」
という可能性が生まれます。
「私はこういう人間だから」から自由になる
私たちは、
自分自身にも縛られます。
「私は人見知りだから」
「私は心配性だから」
「私は飽きっぽいから」
「私は才能がないから」
こうした言葉です。
もちろん、
実際にそういう傾向はあるでしょう。
でも、
それが、
「だから私は変われない」
まで進むと、
自分自身につけたラベルが、
未来を決めるものになります。
アドラー心理学のライフスタイルという考え方は、
そこに別の見方を与えます。
「私はこういう人間」
ではなく、
「私はこれまで、こういう方法を使って生きてきた」
と考えるのです。
自由には「変わる勇気」が必要
もし今までの生き方を変えられるとしても、
簡単とは限りません。
むしろ、
怖いものです。
人に合わせていれば、
嫌われる可能性を減らせた。
挑戦しなければ、
失敗しなくて済んだ。
人を信じなければ、
裏切られることもなかった。
つまり、
今までのライフスタイルには、
自分を守ってくれた側面
があります。
そこから違う生き方へ進むには、
不確実性を受け入れる必要があります。
だから、
自由には、
勇気
が必要になります。
「変われる」と「簡単に変われる」は違う
アドラー心理学について、
「人はいつでも変われる」
と紹介されることがあります。
でも、
ここにも注意が必要です。
変わる可能性があることと、
簡単に変われることは違います。
長年使ってきた考え方。
人間関係のパターン。
自分についてのイメージ。
それらを変えるには、
時間も努力も勇気も必要です。
だから、
「変われない自分はダメ」
と責める必要はありません。
自由とは、
一瞬で別人になることではなく、
違う生き方を選ぶ可能性を失わないこと
とも考えられます。
自由と「劣等感」
劣等感も、
自由と関係します。
「あの人より自分は劣っている」
と感じる。
それ自体は、
必ずしも悪いことではありません。
でも、
「自分は劣っているから挑戦できない」
となると、
劣等感が、
自分の可能性を閉じる理由になります。
あるいは、
「人より上にならなければ価値がない」
と考える。
すると今度は、
人生がずっと競争になります。
どちらも、
他人との上下関係に、
自分の人生を強く縛られている状態です。
「他人より上」から自由になる
自由というと、
他人の命令から自由になることを考えます。
でも、
もっと見えにくい束縛があります。
それが、
「人より上でなければならない」
という考えです。
収入。
学歴。
容姿。
フォロワー数。
仕事。
恋愛。
何でも順位にすると、
必ず上には誰かがいます。
すると、
自由になるために競争していたはずなのに、
いつの間にか、
競争そのものに縛られる
ことになります。
自由と「共同体感覚」
アドラー心理学における自由を考えるうえで、
共同体感覚を忘れてはいけません。
自由とは、
他人から完全に切り離されることではありません。
むしろ、
自分と他者を、
それぞれ独立した存在として尊重しながら、
必要なところでは協力して生きること
です。
自分の人生を生きる。
でも、
他者の人生も尊重する。
自分の課題を引き受ける。
でも、
誰かが困っているなら協力する。
自立と協力は、
必ずしも矛盾しません。
自由とは「孤独になること」ではない
「他人の評価を気にしない」
「自分の課題を生きる」
という言葉だけを見ると、
アドラー心理学は、
「一人で生きればいい」
と言っているように感じるかもしれません。
でも、
そうではありません。
アドラー心理学は、
むしろ、
人間は共同体の中で生きる存在
として考えます。
自由になるために、
人間関係をすべて切るのではありません。
相手を支配しない。
相手にも支配されない。
それでも、
一緒に生きる。
この関係が重要なのです。
自由と「人生の課題」
私たちは、
仕事。
交友。
愛。
という人生の課題に向き合います。
自由だからといって、
これらの課題からすべて逃げることが、
アドラー心理学の目指す生き方ではありません。
仕事では、
他者と協力する。
交友では、
対等な関係を築く。
愛では、
相手を尊重しながら深く関わる。
つまり、
自由とは、
人との関係を捨てることではなく、人との関係の中でも自分の責任を引き受けて生きること
なのです。
「自由」と「責任」はセットである
自分で選べるということは、
とても魅力的です。
でも同時に、
怖いことでもあります。
なぜなら、
自分で選んだら、
「親に言われたから」
「会社が決めたから」
「みんながそうしているから」
と、
すべてを他人のせいにはできなくなるからです。
自分で選ぶ。
結果が思いどおりにならないこともある。
それでも、
次にどうするかを考える。
だから、
自由には責任が伴います。

すべてを自分でコントロールできるわけではない
ここでもうひとつ、
大切なことがあります。
自由とは、
「人生のすべてを自分でコントロールできる」
という意味ではありません。
病気。
災害。
社会制度。
経済状況。
他人の行動。
偶然。
私たちには、
どうしてもコントロールできないものがあります。
アドラー心理学も、
勇気や考え方だけで、
社会的・構造的な問題まですべて解決できるとは考えません。
だから、
何でも、
「あなたが選んだ結果だ」
と個人の責任にしてはいけません。
自由を考えるときには、
自分で選べることと、選べないことを分ける
視点も必要です。
自由になるために考えたい5つの問い
では、
日常の中で自由について考えるには、
どうすればよいのでしょうか。
次の5つの問いを使ってみてください。
1.これは本当に「自分がしたいこと」?
それとも、
褒められたい。
嫌われたくない。
普通だと思われたい。
という理由で選んでいないか考えます。
2.私は誰の評価を恐れている?
親。
上司。
友人。
恋人。
SNSの人々。
「みんな」と考えるのではなく、
具体的にしてみます。
3.私は何をコントロールしようとしている?
他人の感情。
他人の評価。
他人の行動。
本来自分には決められないことまで、
動かそうとしていないか考えます。
4.自分が引き受けるべき課題は何?
他人の課題ではなく、
今、
自分自身が取り組めることを考えます。
5.他人の評価がなかったら、私はどうしたい?
誰にも褒められない。
誰にも「いいね」と言われない。
それでも、
やりたいと思えるでしょうか。
この問いは、
自分自身の価値基準を見つけるヒントになります。
自由とは「選択肢を増やすこと」でもある
自由について、
「好きなものを選ぶこと」
と考えることがあります。
でも、
その前に、
選択肢が見えていること
も大切です。
「私は人見知りだから話せない」
しかない状態より、
「緊張するけれど話してみることもできる」
という選択肢がある。
「嫌われたくないから断れない」
だけではなく、
「嫌われる可能性があっても断ることができる」
という選択肢がある。
行動するかどうかは、
そのあと決めればいい。
まず、
「自分には別の選び方もある」
と気づく。
そこから、
自由が広がります。
自由とは「自分だけの問題」ではない
そして、
アドラー心理学らしいところは、
自由を、
自分だけの問題で終わらせないことです。
自分が自由でありたいなら、
他者の自由も尊重する必要があります。
自分の人生を、
他人に決めてもらいたくない。
それなら、
自分も他人の人生を、
思いどおりに決めようとしない。
自分の意見を尊重してほしい。
それなら、
相手の意見も尊重する。
つまり、
自由は相互的なもの
でもあります。
自由は「幸福」の問題でもある
さらに深く考えると、
自由は、
「幸福とは何か」
という哲学的な問いにつながります。
人から褒められる人生。
誰からも嫌われない人生。
社会的に成功している人生。
それが、
本当に自分にとって幸福なのか。
それとも、
自分で大切だと思えるものを選び、
その選択に責任を持ちながら、
他者と協力して生きることなのか。
自由について考えることは、
「私は誰の人生を生きているのか」
を考えることでもあります。
「自分の人生を生きる」とは?
「自分の人生を生きる」
という言葉は、
よく使われます。
でも、
それは、
何でも好きなことをすることではありません。
過去をすべて否定することでもありません。
他人を無視することでもありません。
むしろ、
自分では変えられないものを認める。
他人には他人の人生があると認める。
そのうえで、
自分が選べる部分について、自分で選択する。
そして、
その選択について、
自分なりに責任を引き受ける。
それが、
アドラー心理学から考えられる、
「自分の人生を生きる」ということです。
まとめ|自由とは「自分の人生を引き受けること」
アドラー心理学から自由を考えると、
自由とは、
単に、
好きなことだけをすること
ではありません。
誰からも嫌われないことでもありません。
他人を無視することでもありません。
そして、
人生のすべてを自分でコントロールすることでもありません。
私たちは、
過去。
環境。
社会。
他者。
さまざまなものから影響を受けています。
変えられないこともあります。
でも、
それだけで、
これからのすべてが決まるわけではありません。
他人がどう思うかを、
完全に決めることはできない。
過去を、
書き換えることもできない。
でも、
「今の自分が、ここからどう生きるか」
については、
考えることができます。
他人の評価ではなく、
自分の価値観から選ぶ。
自分の課題を、
自分で引き受ける。
他者の自由も尊重する。
必要なときには、
人と協力する。
そして、
これまでの生き方が自分を苦しめているなら、
違う生き方を試してみる。
それは、
簡単なことではありません。
だからこそ、
勇気が必要です。
哲学を学ぶことを、もっと日常に。
何かを選ぼうとして、
「でも、みんなはどう思うだろう?」
と立ち止まったとき。
一度だけ、
問いを変えてみてください。
「私は、本当はどう生きたいのだろう?」
そして、
もうひとつ。
「その選択について、自分で責任を引き受けられるだろうか?」
自由とは、
誰にも縛られないことだけではありません。
自分の人生を、自分のものとして引き受けていくこと。
そこから、
アドラー心理学における「自由」を考えてみてはいかがでしょうか。