自由に生きたいけれど孤独が怖い―アドラー心理学から考える|自由と人間関係のヒント

自由に生きたいけれど孤独が怖い―アドラー心理学から考える

「もっと自分らしく生きたい」「他人の目を気にせず、自分の好きなことをしたい」。そう思う一方で、「でも、人から嫌われるのは怖い」「一人になってしまったらどうしよう」と不安になることはないでしょうか。

自分の人生なのだから、自分で決めたい。でも、周りの人との関係も失いたくない。自由を求める気持ちと、孤独を恐れる気持ちは、一見すると矛盾しているように見えます。

たとえば、本当は違う仕事をしてみたいのに、家族から反対されるのが怖くて動けない。行きたくない誘いを断りたいのに、友達から嫌われそうで断れない。恋人に合わせることに疲れているのに、一人になることを考えると関係を変えられない。

私たちは「自由に生きたい」と思いながらも、他者とのつながりを失うことを恐れて、自分の選択を抑えてしまうことがあります。

では、自由に生きるためには、孤独になる覚悟が必要なのでしょうか。

アドラー心理学から考えると、必ずしもそうではありません。むしろ重要なのは、「自由」と「孤立」を同じものとして考えないことです。

アドラー心理学には、課題の分離、承認欲求、他者信頼、共同体感覚など、人間関係の中で自分らしく生きることを考えるためのさまざまな視点があります。

この記事では、「自由に生きたい。でも孤独になるのは怖い」という悩みについて、アドラー心理学から考えていきます。

なぜ「自由に生きたい」と思うほど孤独が怖くなるのか

自由に生きるというと、「好きなことをする」「他人に縛られない」「自分の意思で人生を決める」といったイメージがあります。

どれも魅力的に聞こえます。しかし、実際に自分の意思で生きようとすると、ある問題にぶつかります。

自分の選択が、必ずしも周囲から歓迎されるとは限らないことです。

転職したいと言えば、家族から反対されるかもしれません。友人の誘いを断れば、「付き合いが悪くなった」と思われるかもしれません。周囲とは違う生き方を選べば、「普通と違う」と言われることもあります。

つまり、自由に生きることには、「他人が自分をどう評価するかまでは決められない」という現実がついてきます。

だから私たちは、自由を求めながらも不安になるのです。

「自分らしく生きる」と「人から好かれる」を両立したくなる

多くの人が望んでいるのは、「好き勝手に生きたい」ということではないでしょう。

本当は、自分らしく生きたい。でも、家族からも理解されたい。友達からも好かれたい。恋人からも愛されたい。職場でも評価されたい。

つまり、「自分の好きなように選びながら、その選択を周囲からも認めてもらいたい」と思います。

もちろん、それが実現することもあります。しかし、いつもそうなるとは限りません。

自分の人生を選んだ結果、誰かが残念に思うこともあります。意見が合わなくなる人もいます。離れていく人がいる可能性もあります。

ここに、「自由」と「承認欲求」の問題があります。

アドラー心理学の「承認欲求」から考える

他人から認められたいと思うこと自体は、不思議なことではありません。「あなたの考え方、いいね」と言われれば嬉しいですし、自分の選択を家族や友人に応援してもらえれば安心します。

しかし、他人から認めてもらうことが「自分の人生を選ぶための条件」になると、自由は少しずつ失われていきます。

「親が賛成してくれたら転職する」「友達に嫌われないなら断る」「恋人が理解してくれるなら自分の希望を言う」。こうして、最終的な決定権を他者の反応に預けるようになります。

「認められたら嬉しい」と「認められなければならない」は違う

他者から認められることを、すべて拒否する必要はありません。

大切なのは、「認められたら嬉しい」と「認められなければ、自分の選択は間違っている」を分けることです。

家族が賛成してくれれば嬉しい。でも、家族の人生を生きているわけではない。友達から理解してもらえれば嬉しい。でも、すべての友達と同じ価値観を持つ必要はない。

この違いを意識すると、自分の人生と他人の評価の間に少し距離が生まれます。

自由について考えるなら「課題の分離」が重要になる

ここで関係するのが、アドラー心理学でよく知られる「課題の分離」です。

課題の分離とは、「これは誰の課題なのか」を考えることです。

たとえば、今の仕事を辞めて別の仕事に挑戦したいとします。家族からは、「安定している会社なのだから辞めないほうがいい」と反対されました。

家族の意見を聞くことはできます。心配してくれていることも理解できます。しかし、最終的にその仕事を続けるのも、転職した結果を引き受けるのも自分です。

だから、最終的な選択は自分の課題になります。

一方、自分が転職することについて家族がどう感じるのかは、完全にはコントロールできません。

「相手を悲しませたくない」と思うとき

自由に生きようとするとき、特に難しいのが「自分の選択によって誰かを悲しませるかもしれない」という問題です。

「自分が断ったら友達が傷つくかもしれない」「親の期待とは違う人生を選んだら悲しませるかもしれない」「恋人と別れたら相手が苦しむかもしれない」。

だから、自分が我慢すればいいと思うことがあります。

もちろん、相手への配慮は大切です。自由とは、他者の気持ちを無視して好き勝手に振る舞うことではありません。

自分の気持ちを誠実に伝える。必要なら説明する。相手の話も聞く。できる範囲で配慮する。

そこまでは自分にできます。

でも、「相手を絶対に悲しませないこと」まで自分の責任にすると、自分の人生を選べなくなることがあります。

課題の分離は「人間関係を切り捨てる思想」ではない

課題の分離という言葉だけを見ると、「他人は他人、自分は自分」と割り切る冷たい考え方に感じるかもしれません。

しかし、アドラー心理学では、課題を分けることそのものが最終目的ではありません。

自分と相手を別々の人間として認めたうえで、必要なところでは協力する。その先には、共同体感覚という考え方があります。

「あなたのことは知らない」ではなく、「あなたの人生を尊重する。そして、自分の人生も尊重する」という関係を考えるのです。

「自由に生きる=一人になる」ではない

自由について考えるとき、多くの人が怖いと感じるのが孤独です。

「自分の意見を言ったら、友達が離れていくかもしれない」「周りとは違う道を選んだら、一人になるかもしれない」。そんな不安から、本当は望んでいない選択を続けることがあります。

しかし、「自由に生きること」と「一人で生きること」は同じではありません。

自分で選択することと、人とつながることは両立できます。

むしろ、他人に合わせ続けなければ維持できない関係について、一度考えてみる必要があります。

「一人になること」と「孤立すること」を分けて考える

一人で過ごすことと、孤立することも違います。

一人で本を読む。一人で散歩する。一人で旅行する。一人で自分の将来について考える。

こうした時間は、必ずしも寂しいものではありません。

一方で、「誰にも頼れない」「誰とも本音で関われない」「人はみんな敵だ」と感じている状態は、孤立につながります。

自由になるために必要なのは、すべての人間関係を断つことではありません。

他人に依存しすぎず、それでも他人とつながる。その距離を探していくことです。

「嫌われる勇気」は孤独になる勇気なのか?

アドラー心理学に興味を持った人なら、「嫌われる勇気」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。

この言葉から、「自由に生きるためには、嫌われても平気な人にならなければならない」と考えることがあります。

しかし、目指すのは「誰から嫌われても何も感じない人」ではありません。

人から嫌われれば、悲しいこともあります。大切な人から理解されなければ、傷つくこともあります。

重要なのは、「嫌われる可能性を完全になくすために、自分の人生を他人に合わせ続けるのか」という問いです。

自由には「他人の評価を決められない」という側面がある

自分が誠実に生きても、全員から好かれるとは限りません。

誰かには、

「変わったね」

と言われるかもしれません。

誰かには、

「昔のほうがよかった」

と思われるかもしれません。

でも、それは自分の人生を間違えた証明とは限りません。

他者には、自分を評価する自由があります。そして自分にも、自分の人生を選ぶ自由があります。

では「自由」とは何なのか

自由というと、「何でも好きなことができる状態」を想像しやすいものです。

でも、現実には完全な自由はありません。

お金にも限界があります。時間にも限界があります。社会のルールもあります。他者と生きる以上、配慮や責任も必要になります。

だから、自由とは「制約が一切ないこと」ではなく、「与えられた条件の中で、自分が引き受ける選択をすること」と考えることができます。

自分では変えられない条件がある。その中でも、どのように生きるかについて選べる部分を探す。

そこに、アドラー心理学から自由を考えるヒントがあります。

自由には「責任」がついてくる

自分で選ぶということは、その結果についても引き受けることになります。

転職する自由がある。しかし、転職した結果、思っていた仕事と違う可能性もあります。

人間関係から距離を置く自由がある。しかし、その結果、以前と同じ関係には戻れないかもしれません。

自分の意見を言う自由がある。しかし、相手から反対されることもあります。

「自由に生きたい」という願いには、「結果も含めて自分の人生として引き受ける」という側面があります。

だからこそ、自由は簡単ではありません。

「誰かに決めてもらう」ほうが楽なこともある

自由が怖くなる理由の一つは、自分で決める責任が生まれるからです。

親に言われたから。

会社のルールだから。

みんなそうしているから。

世間では普通だから。

そう考えれば、失敗したときに「自分が選んだ」という痛みを少し避けられます。

一方、自分で選べば、うまくいかなかったときに後悔するかもしれません。

だから私たちは、自由を求めながら、ときには誰かに決めてもらいたくもなります。

「自由になりたいのに動けない」とき、目的論から考える

ここでは、アドラー心理学の「目的論」も役立ちます。

「なぜ自分は自由に生きられないのだろう?」

と原因だけを探すのではなく、

「今の生き方を続けることで、自分は何を避けているのだろう?」

と考えてみます。

たとえば、自分の意見を言わないことで、人から反対されることを避けているかもしれません。親の期待どおりに生きることで、「自分で選んで失敗すること」を避けているかもしれません。

もちろん、それを責める必要はありません。

「動けない自分は弱い」と考えるのではなく、今の行動が自分を何から守っているのかを知る。そのうえで、本当にこの方法を続けたいのかを考えてみます。

「孤独が怖い」の奥にあるものを考える

孤独が怖いと感じるとき、本当に怖いものは「一人でいること」だけでしょうか。

「誰からも必要とされなくなること」が怖いのかもしれません。「自分には価値がないと感じること」が怖いのかもしれません。「困ったときに誰にも頼れないこと」が怖いのかもしれません。

孤独という一つの言葉の中には、さまざまな不安があります。

だから、

「一人でも平気にならなければ」

と無理をする前に、

「自分は、孤独の何が怖いのだろう?」

と考えてみることが大切です。

「必要とされる自分」に価値を感じていない?

人から必要とされることは嬉しいものです。

友人から相談される。職場で頼られる。恋人から「あなたが必要」と言われる。そうした経験から、自分の存在意義を感じることがあります。

でも、

「誰かから必要とされていなければ、自分には価値がない」

となると、人間関係から離れることが怖くなります。

本当は苦しい関係でも、必要とされているから離れられない。頼まれたことを断れない。自分の時間を犠牲にする。

そこで関係するのが、アドラー心理学の「自己受容」と「他者貢献」です。

自己受容とは「一人でも完璧になること」ではない

自己受容とは、「私は誰も必要としない」「一人でも完璧に生きられる」と思うことではありません。

できることも、できないこともある自分を、そのまま現実として認めることです。

一人ではできないことがあれば、人に頼ってもいい。寂しいときには、誰かに会いたいと思ってもいい。

ただし、「誰かに認めてもらわなければ、自分には価値がない」という状態からは少し距離を取ってみる。

誰かとの関係が、自分の価値を証明する唯一のものにならないようにすることです。

「他者貢献」と「必要とされること」は少し違う

アドラー心理学では、他者貢献という考え方があります。

誰かの役に立つことは、人とのつながりを感じる一つの方法です。

しかし、他者貢献は「相手から必要とされ続けること」と同じではありません。

誰かを助けることはできる。でも、相手が自分なしでは何もできない状態を作る必要はない。

「私がいなければ、この人は困る」という関係ではなく、「私はこの人にできることをした」と考える。

ここにも、自立とつながりを両立するヒントがあります。

自由に生きるために「他者信頼」が必要になる

自由と孤独について考えるとき、意外に重要なのが「他者信頼」です。

自由に生きたいなら、他人なんて気にしなければいい。

そう考えたくなるかもしれません。

でも、アドラー心理学が目指すのは、人間関係から完全に離れることではありません。

他者信頼とは、「すべての人が自分を傷つけない」と無条件に信じ込むことではなく、他者を最初から敵として扱わず、協力できる可能性のある存在として見ることです。

自分の意見を言うためにも、他者への信頼がいる

自分の意見を言うとき、

「違う意見を言ったら、この人との関係は終わる」

と思っていたら、本音を言うのは難しくなります。

でも、

「意見が違っても、話し合えるかもしれない」

「断っても、それだけで関係が終わるとは限らない」

と思えれば、自分の気持ちを少し伝えやすくなります。

自由に生きるためには、自分を信じることだけでなく、他者との関係を信頼する勇気も必要になります。

本音を言って離れていく人もいる

もちろん、本音を言えばすべての関係が深まるわけではありません。

価値観の違いが明確になることもあります。距離ができる人もいるでしょう。

それは寂しいことです。

しかし、人間関係は「一度築いたら永遠に同じ距離で続けなければならないもの」でもありません。

自分も変わります。相手も変わります。人生の環境も変わります。

関係が変化することと、自分の人生に失敗することは同じではありません。

「人に合わせない」と「人を大切にしない」は違う

自由について考えると、

「人に合わせないほうがいい」

という極端な結論になりやすいことがあります。

でも、人と生きる以上、相手に合わせることもあります。

友人が行きたい店に行く。家族の都合に予定を合わせる。恋人が落ち込んでいるから話を聞く。

それ自体は問題ではありません。

大切なのは、

「自分で合わせることを選んでいるのか」

それとも、

「嫌われるのが怖くて、合わせるしかないと思っているのか」

という違いです。

同じ行動でも、自分の意思で選んでいるのかどうかで意味は変わります。

アドラー心理学の「横の関係」から考える

アドラー心理学では、人間関係について「横の関係」という考え方があります。

相手を自分より上に置いて、認めてもらおうとする。

反対に、自分を上に置いて相手を支配しようとする。

そうした上下関係ではなく、違いを持った一人の人間同士として関わります。

相手の意見を尊重する。

でも、自分の意見も尊重する。

相手には相手の人生がある。

自分には自分の人生がある。

そのうえで協力する。

自由とつながりを両立するためには、この「対等さ」が重要になります。

自由と「共同体感覚」は矛盾しない

ここまで読むと、

「自分の人生は自分で決めるなら、結局は一人で生きることになるのでは?」

と思うかもしれません。

そこで重要になるのが、アドラー心理学の中心的な概念である「共同体感覚」です。

共同体感覚とは、自分は共同体の一員であり、他者は仲間になりうる存在で、自分にも共同体の中でできることがあると感じることです。

つまり、アドラー心理学における自由は、「誰にも頼らない孤立した人間になること」を意味しているわけではありません。

自分の人生を自分で生きながら、それでも他者と協力して生きることを考えます。

「所属すること」と「合わせ続けること」は違う

人は、どこかに所属していたいと感じます。

家族。

友人関係。

職場。

学校。

地域。

社会。

でも、所属するために自分をすべて周囲に合わせなければならないとしたら、その関係は苦しくなります。

「みんなと同じだから、ここにいていい」ではなく、「違いがあっても、ここにいていい」。

そんなつながりを作ることができれば、自由と所属は必ずしも対立しません。

「誰にも嫌われない人生」は本当に自由だろうか

ここで一つ考えてみましょう。

もし、

「誰からも嫌われない」

ことを人生の最優先事項にしたら、どうなるでしょうか。

友達が望む自分になる。親が望む人生を選ぶ。恋人が望むように行動する。職場では全員に好かれるように振る舞う。

もしかすると、人間関係の衝突は少なくなるかもしれません。

でも、その人生の中に、

「自分はどうしたい?」

という問いは、どれくらい残っているでしょうか。

他人から嫌われることを恐れすぎると、自分の人生の選択権を少しずつ他人に渡してしまうことがあります。

「自由に生きたいけれど孤独が怖い」ときに考えたい7つの問い

1.自分は今、何から自由になりたい?

親の期待なのか、友達からの評価なのか、職場の常識なのか。まず、「自由になりたい」の中身を具体的にしてみます。

2.孤独の何が一番怖い?

一人でいることなのか、嫌われることなのか、必要とされなくなることなのか、困ったときに頼れる人がいなくなることなのかを考えます。

3.誰の評価を一番気にしている?

自分の選択を止めている相手がいるなら、その人から認められることがどれほど重要になっているのか考えてみます。

4.これは誰が引き受ける課題?

自分が決めることと、相手がどう感じるかを分けてみます。

5.本当に「嫌われる」ことが確定している?

「断ったら嫌われる」「違う道を選んだら関係が終わる」と、まだ起きていない未来を決めつけていないか考えます。

6.自分の意思で人に合わせている?

自分が大切にしたい相手だから合わせているのか、嫌われるのが怖くて合わせているのかを考えます。

7.自由になったあと、どんな人とつながっていたい?

「何から逃れたいか」だけではなく、「どんな関係を築きたいか」まで考えてみます。

いきなり「自由な人」にならなくてもいい

自由に生きるというと、人生を大きく変えなければならないように感じます。

仕事を辞める。住む場所を変える。人間関係を整理する。自分の好きなことだけをする。

でも、自由はもっと小さな選択から始めることもできます。

本当は行きたくない誘いを一度だけ断る。行きたい場所を自分から提案する。人と違う意見でも一度だけ言ってみる。休日の一時間を自分のために使う。

そうした小さな選択も、「自分の人生を自分で選ぶ」という経験になります。

「嫌われない選択」ではなく「自分で引き受けられる選択」をする

人生の選択に、絶対の正解があるとは限りません。

どちらを選んでも、何かを失う可能性があります。

だから、

「どちらなら誰にも嫌われない?」

ではなく、

「どちらなら、自分で選んだ結果として引き受けられる?」

と考えてみます。

これは、わがままになることではありません。

自分の人生の責任を、少しずつ自分に戻していくことです。

一人でできないことは人に頼っていい

自立や自由について考えると、

「人に頼ってはいけない」

と思うことがあります。

でも、自由に生きることと、誰にも頼らないことは同じではありません。

困ったら相談する。わからなければ教えてもらう。つらいときには話を聞いてもらう。自分だけではできないことなら協力してもらう。

そのうえで、自分ができるときには誰かを助ける。

依存でも孤立でもなく、相互に協力できる関係を持つことができます。

自由とは「誰も必要としないこと」ではない

「一人でも生きられるようになれば、自由になれる」

そう思うことがあります。

でも、人間は社会の中で生きています。

完全に誰にも頼らず生きることはできません。

大切なのは、

「あなたがいなければ私は何もできない」

でも、

「私は誰も必要としない」

でもありません。

「自分の人生は自分で引き受ける。でも、一人ですべてを抱える必要はない」。

この間に、自立とつながりが共存する場所があります。

自由と幸福の関係

自由になれば、必ず幸せになるのでしょうか。

好きな仕事をする。

好きな場所に住む。

嫌な人とは付き合わない。

そうした選択によって楽になることはあります。

でも、自由だけでは人間の幸福をすべて説明できません。

自分で選べること。

人とつながっていること。

誰かと協力できること。

自分にもできることがあると感じられること。

アドラー心理学から幸福を考えるなら、自由と共同体感覚の両方が重要になってきます。

「自由か、つながりか」の二択にしなくていい

「自由に生きるなら、一人になるしかない」

「人とつながっていたいなら、自分を我慢するしかない」

この二択で考えると、どちらを選んでも苦しくなります。

でも、その間には別の道があります。

自分の意見を持ちながら、人の話も聞く。自分で決めながら、必要なら相談する。一人の時間を持ちながら、人と会う。違う価値観を持ちながら、協力する。

自由とつながりは、必ずしも反対ではありません。

まとめ|自由とは、孤独になることではなく「自分の人生を生きながら人とつながること」

「もっと自由に生きたい」

そう思う一方で、

「でも、一人になるのは怖い」

と感じる。

この二つの気持ちは、矛盾しているように見えます。

でも、アドラー心理学から考えると、自由になるために人間関係を捨てる必要はありません。

課題の分離によって、自分が引き受けることと、相手にしか決められないことを整理する。

承認されることを人生の目的にせず、自分の選択を自分で考える。

他者をすべて敵として見るのではなく、協力できる可能性のある存在として信頼する。

そして、自分も共同体の一員として、人とつながりながら生きていく。

自由とは、

「誰にも何も言われない人生」

でも、

「誰も必要としない人生」

でもありません。

自分の人生を自分で選びながら、その人生の中で人とつながっていくことです。

もちろん、自分の意思で生きれば、全員から理解されるとは限りません。

離れていく人もいるかもしれません。

でも、新しい関係が生まれることもあります。違う意見を持ちながらも、つながっていられる人がいることに気づくかもしれません。

「哲学を学ぶことを、もっと日常に。」

次に、

「本当はこうしたい。でも、嫌われるかもしれない」

と思ったとき。

一度だけ問いかけてみてください。

「これは、本当に自分が選びたいことだろうか?」

そして、もう一つ。

「自分は、誰にも嫌われない人生と、自分で選ぶ人生のどちらを生きたいだろう?」

自由とは、一人になるためのものではありません。

自分を失わずに、他者とともに生きるためのものでもあります。

自分の人生は自分で生きる。

でも、その人生を一人だけで生きる必要はない。

アドラー心理学から考えると、その間に「自由」と「つながり」を両立させる一つの道が見えてきます。

ブログに戻る