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「自分らしく生きる」とは?アドラー心理学から考える
「もっと自分らしく生きたい」
そう思ったことはないでしょうか。
周りに合わせてばかりいる気がする。親や会社から期待される自分を演じている。本当は違うことをしたいのに、人からどう思われるかが気になって動けない。
そんなとき、「自分らしく生きよう」という言葉はとても魅力的に聞こえます。
しかし、いざ「自分らしさとは何?」と聞かれると、意外と答えるのは難しいものです。
好きなことだけをすることなのでしょうか。他人の意見を気にしないことなのでしょうか。それとも、自分の性格を変えずに生きることなのでしょうか。
アドラー心理学から考えると、「自分らしく生きる」というテーマは、単なる自己表現の問題ではありません。
そこには、他人から認められたいという承認欲求、自分と他者の課題を分ける課題の分離、自分なりの生き方のパターンであるライフスタイル、今の自分を現実として認める自己受容、そして自分の人生を引き受ける自由という考え方が関係しています。
そして何より重要なのは、自分らしく生きることと、人とのつながりを失うことは同じではないということです。
この記事では、「自分らしく生きる」とは何なのかを、アドラー心理学からわかりやすく考えていきます。
そもそも「自分らしさ」とは何だろう?
私たちは日常の中で、「もっと自分らしく」「ありのままの自分で」といった言葉をよく目にします。
でも、自分らしさとは何でしょうか。
好きな服を着ること。好きな仕事をすること。自分の意見を言うこと。周囲とは違う生き方を選ぶこと。
もちろん、それらも自分らしさの一部になるかもしれません。
しかし、「自分らしさ」を特定の性格や趣味だけで考えると、「本当の自分を見つけなければ」という別の苦しさが生まれることがあります。
アドラー心理学から考えるなら、「本当の自分」という固定された何かを探すことよりも、「自分はこれからどのように生きるのか」という方向を見るほうが重要になります。
「本当の自分」はどこかに隠れているのか?
「今の自分は本当の自分ではない」
そう感じることがあります。
仕事では明るく振る舞っているけれど、本当は静かに過ごしたい。友達の前では何でも平気なふりをしているけれど、本当は傷つきやすい。
すると、「どこかに本当の自分がいるはずだ」と考えたくなります。
でも、人間にはさまざまな側面があります。
仕事をしている自分。家族といる自分。一人でいる自分。友人といる自分。
そのどれか一つだけが偽物で、どれか一つだけが本物とは限りません。
大切なのは、「どの自分が本物か」を決めることよりも、「自分はどんな方向へ生きたいのか」を考えることです。
アドラー心理学の「ライフスタイル」から考える
ここで重要になるのが、アドラー心理学の「ライフスタイル」です。
一般的にライフスタイルというと、服装や暮らし方、趣味などを意味します。しかし、アドラー心理学におけるライフスタイルは少し違います。
自分をどのような人間だと思っているのか。他者をどのような存在として見ているのか。世界をどのような場所だと考えているのか。
そして、その中でどのような目標を持ち、どのように行動しているのか。
こうした、その人独自の人生の捉え方や行動のパターンをライフスタイルと考えます。
「私はこういう性格だから」は本当に変えられない?
たとえば、
「私は人見知りだから、人前では話せない」
「私は心配性だから、新しいことには挑戦できない」
「私は人に嫌われるのが怖い性格だから、断れない」
と考えることがあります。
もちろん、実際にそうした傾向はあるでしょう。
でも、「これは自分の性格だから変えられない」と考えるのと、「自分はこれまで、このような方法で生きてきた」と考えるのでは、未来の見え方が違います。
後者なら、少し違う方法を試す可能性が残ります。
自分らしく生きるとは、「今までの自分を絶対に変えないこと」ではありません。
むしろ、自分自身の生き方を見直しながら、より自分が望む方向を選んでいくことでもあります。
「自分らしく生きられない」原因は他人の目?
「本当はこうしたい」
と思っているのに行動できないとき、その背景に他人からの評価があることがあります。
「変な人だと思われたらどうしよう」
「親をがっかりさせたくない」
「友達に嫌われたくない」
「会社で評価されなくなるかもしれない」
すると、自分がしたいことよりも、「人からどう思われるか」が人生の判断基準になっていきます。
承認欲求が人生の基準になると苦しくなる
人から認められることは嬉しいものです。
親から褒められる。上司から評価される。友達から好かれる。恋人から愛される。
こうした経験は、私たちに安心や喜びを与えてくれます。
問題は、「認められたら嬉しい」が「認められなければならない」に変わったときです。
自分が本当にやりたいことではなく、評価されそうなことを選ぶ。
好きな服ではなく、周囲から変だと思われなさそうな服を選ぶ。
自分が望む仕事ではなく、親から認められそうな仕事を選ぶ。
その状態が続くと、「自分らしく生きたい」と思いながら、自分の人生の判断基準を他者へ渡してしまいます。
「みんなが認めてくれる自分」を目指していない?
自分らしさについて考えるとき、一つ大切な問いがあります。
「自分らしく生きたい。でも、その自分をみんなから認めてもらいたい」
と思っていないでしょうか。
自分の好きなことをしたい。
でも、周囲から褒めてほしい。
自分の道を選びたい。
でも、家族にも友人にも賛成してほしい。
もちろん、理解してもらえれば嬉しいでしょう。
でも、自分の選択を全員から認めてもらうことは、必ずしもできません。
自分らしく生きることには、「他人が自分をどう評価するかまでは決められない」という現実も含まれています。
ここで「課題の分離」を考える
アドラー心理学の有名な考え方の一つに、「課題の分離」があります。
課題の分離とは、「これは誰が引き受ける課題なのか」を整理することです。
たとえば、本当は別の仕事に挑戦したいとします。
親からは、
「今の会社を辞めるなんてもったいない」
と言われました。
親の意見を聞くことはできます。心配してくれていることも理解できます。
でも、その仕事を続けるのは誰でしょうか。
転職した結果を生きるのは誰でしょうか。
最終的には、自分自身です。
だから、自分の人生についての選択は、自分が引き受ける課題になります。

他人がどう思うかまで支配することはできない
自分が転職したとき、親がどう感じるか。
友人がどう評価するか。
周囲から「もったいない」と言われるか。
そこまで完全にコントロールすることはできません。
だから、自分らしく生きるためには、
「みんなが納得してくれる選択」
を探すことより、
「自分がその結果を引き受けられる選択」
を考えることが重要になります。
課題の分離は「他人の意見を聞かないこと」ではない
ここは、よく誤解されるところです。
課題の分離とは、
「自分の人生だから、他人の意見なんて聞かなくていい」
という考え方ではありません。
人の意見を聞くことはできます。
経験のある人に相談することもできます。
自分が気づいていなかった問題を指摘してもらうこともできます。
大切なのは、「意見を参考にすること」と「最終的な人生の判断まで他人に委ねること」を分けることです。
自分らしさと「自己受容」
「自分らしく生きよう」
と言われると、
「自分を好きにならなければならない」
と思うことがあります。
でも、アドラー心理学の自己受容は、「自分のすべてを好きになること」とは少し違います。
自己受容とは、今の自分を現実として認めることです。
得意なところもある。苦手なところもある。自信があることもある。自信がないこともある。
理想とは違う部分があったとしても、まず「今はここにいる」と認める。
そこから、「では、この自分で何ができる?」と考えます。
「理想の自分になってから生きる」では遅い
「もっと自信がついたら、自分らしく生きよう」
「もっと成功したら、好きなことをしよう」
「もっと魅力的になったら、自分を認めよう」
そんなふうに考えると、自分らしい人生はいつも未来へ先送りされます。
でも、私たちは完全な人間にはなれません。
苦手なことが残ることもあります。失敗することもあります。迷うこともあります。
だから、完璧な自分になってから人生を始めるのではなく、今の自分から生き始めることが大切です。
「自分らしく」を言い訳にしない
一方で、「これが自分らしさだから」と何でも正当化することにも注意が必要です。
「私は短気だから、人にきつく言ってしまうのは仕方ない」
「私は自由人だから、約束を守らなくてもいい」
「私は一人が好きだから、誰とも協力しなくていい」
それは、本当に自分らしさなのでしょうか。
それとも、変わることや他者と向き合うことを避ける理由になっているのでしょうか。
自分らしさは、他者への責任をなくすための言葉ではありません。
アドラー心理学の「目的論」から自分らしさを見る
ここでは、アドラー心理学の「目的論」も役立ちます。
たとえば、
「私は人見知りだから、人と話せない」
と考えているとします。
そこで、
「なぜ人見知りになったのだろう?」
だけではなく、
「人と話さないことで、何を避けられている?」
と考えてみます。
失敗すること。
変な人だと思われること。
会話が続かなくて恥ずかしい思いをすること。
もしかすると、人見知りという自分像が、自分を守る方法として使われていることもあります。
もちろん、それを責める必要はありません。
ただ、
「これは本当に変えられない自分なのか?」
と問い直すことで、別の可能性が見えてくることがあります。
「自分らしい性格」ではなく「自分らしい選択」を考える
自分らしさというと、性格について考えがちです。
明るい自分。
静かな自分。
社交的な自分。
一人が好きな自分。
でも、自分らしさは性格だけではありません。
何を大切にするのか。
どんな人と関わりたいのか。
何に時間を使いたいのか。
困ったときにどう向き合うのか。
そうした選択にも、その人らしさは現れます。
だから、
「本当の性格を見つけなければ」
ではなく、
「自分は何を大切にして選びたい?」
と考えてみます。
「自分の価値観」と「他人から借りた価値観」を分ける
自分らしく生きたいのに、何をしたいのかわからない。
そんなときは、自分が大切だと思っているものを見直してみることができます。
高い収入。
有名な会社。
結婚。
マイホーム。
人気。
肩書き。
もちろん、それらを本当に望んでいるなら問題ありません。
でも、
「みんなが欲しがっているから」
「親が喜ぶから」
「成功していると思われるから」
という理由だけで追いかけているものはないでしょうか。
「それを誰にも見せられなくても欲しい?」
自分の価値観を考えるための問いの一つがあります。
「それを手に入れても、誰にも自慢できないとしたら、それでも欲しい?」
たとえば、高級なものを買う。
誰にも見せられないとしても欲しいでしょうか。
仕事で昇進する。
誰からも褒められなくても、その仕事をしたいでしょうか。
SNSに載せられなくても、その旅行へ行きたいでしょうか。
もちろん答えは一つではありません。
でも、この問いは、「自分が本当に望んでいること」と「他人から評価されるために望んでいること」を考えるヒントになります。
人と比べ続けると「自分らしさ」が見えなくなる
自分らしく生きられないと感じる原因の一つに、他人との比較があります。
友人は自分より成功している。
同僚は自分より仕事ができる。
SNSの人は自分より楽しそうに生きている。
すると、
「あの人みたいにならなければ」
と思います。
でも、誰かを追いかけ続けるほど、自分が本当にどこへ行きたいのかは見えにくくなります。
「誰より上か」より「自分はどこへ向かいたいか」
他人を参考にすることはできます。
「あの人の働き方はいいな」
「こういう暮らし方もあるんだ」
と、新しい可能性を知ることもできます。
問題は、他人が自分の採点基準になることです。
「あの人より成功していないから、自分はダメ」
ではなく、
「あの人のどこに惹かれたのだろう?」
と考えてみます。
そこから、自分が本当に求めているものが見えてくることがあります。
「自分らしく生きる」と自由の関係
アドラー心理学から「自分らしさ」を考えるとき、自由は重要なテーマです。
自由とは、何でも好き勝手にすることではありません。
他人の評価だけに人生を決めてもらわず、自分が選べる部分について、自分で選ぶことです。
そして、その選択の結果についても自分なりに引き受ける。
ここに自由があります。
自由には「理解されない可能性」もある
自分らしく生きようとすると、周囲と違う選択をすることがあります。
すると、
「どうしてそんなことをするの?」
と言われるかもしれません。
理解してもらえないこともあります。
でも、すべての人に理解されることを自由の条件にすると、自分の人生を選ぶことは難しくなります。
自由とは、他者から絶対に反対されない状態ではありません。
反対される可能性があっても、自分が引き受けられる選択をすることでもあります。
だからといって「一人で生きる」わけではない
ここで、
「では、自分らしく生きるには、人間関係を気にしないほうがいいの?」
と思うかもしれません。
アドラー心理学は、そう考えません。
人間は他者とともに生きる存在です。
家族。
友人。
恋人。
仕事。
社会。
私たちはさまざまな共同体の中で生きています。
自分らしく生きることと、人と協力して生きることは、必ずしも矛盾しません。
「自分を大切にする」と「自分だけを大切にする」は違う
自分らしさを大切にする。
自分の意思を尊重する。
それは重要です。
でも、
「自分がしたいことなら、相手がどう感じても関係ない」
となれば、協力的な人間関係から離れてしまいます。
自分には自分の希望がある。
相手には相手の希望がある。
その違いを認めたうえで、話し合う。
必要なら譲る。
譲れないところは伝える。
そこに、人とともに生きるための自分らしさがあります。
「自分らしく生きる=わがまま」ではない
自分の希望を言うと、
「わがままだと思われないかな」
と心配することがあります。
でも、自分の希望を持つこと自体がわがままなのではありません。
相手の希望を無視して、自分だけを優先することと、
「自分はこうしたい」と伝えることは違います。
自分の意思を持つ。
相手の意思も尊重する。
その両方を考えることができます。
自分らしさと「他者信頼」
自分らしく生きるためには、意外にも「他者信頼」が重要です。
もし、
「本音を言ったら必ず嫌われる」
「断ったら関係が終わる」
「違う意見を言ったら拒絶される」
と思っていたら、自分を出すことは難しくなります。
でも、
「意見が違っても話し合える人もいる」
「断っても続く関係もある」
「違いがあっても協力できる人はいる」
と考えられれば、自分自身を少し関係の中に出しやすくなります。
自分らしく生きるには「人を信じる勇気」もいる
自分らしさというと、
「自分を信じること」
ばかりに注目しがちです。
でも、人間関係の中で自分らしくいるには、
「この人なら、自分と違っていても関われるかもしれない」
と他者を信頼することも必要です。
もちろん、すべての人に本音を話す必要はありません。
自分を尊重してくれない人から距離を取ることもできます。
他者信頼とは、無防備になることではなく、人間関係そのものを敵として見ないことです。
アドラー心理学の「横の関係」と自分らしさ
アドラー心理学では、人間関係を上下ではなく「横」の関係として見る考え方があります。
誰かを自分より上に置けば、
「認めてもらわなければ」
と思います。
反対に、自分を上に置けば、
「相手を自分の考えに従わせたい」
と思うかもしれません。
横の関係では、相手も自分も一人の人間として尊重します。
相手には相手の人生がある。
自分には自分の人生がある。
そのうえで、必要なところでは協力する。
この関係なら、「自分らしさ」と「他者とのつながり」を両立しやすくなります。
自分らしさと「共同体感覚」
ここまでの考え方は、アドラー心理学の「共同体感覚」へつながっていきます。
共同体感覚とは、自分は共同体の一員であり、他者は仲間になりうる存在で、自分にも共同体の中でできることがあると感じることです。
ここで大切なのは、
「自分らしく生きる=他人から離れる」
ではないことです。
自分自身の人生を持つ。
同時に、他者とのつながりも持つ。
自分にできることをする。
必要なら助けてもらう。
つまり、自立と協力の両方を考えます。

「自分らしさ」は一人で完成させるものではない
私たちは、自分について一人で考えているだけでは気づけないことがあります。
人と話すことで、自分が大切にしていることに気づく。
誰かと働くことで、自分の得意なことに気づく。
恋愛を通して、自分が何を怖がっているのかに気づく。
友人との違いから、自分の価値観に気づく。
つまり、自分らしさは、人間関係の中でも少しずつ見えてきます。
他者から離れることで自分を見つけるのではなく、他者と関わりながら、自分が何を大切にしたいのかを知っていくこともできます。
「自分らしく生きる」ときに考えたい7つの問い
1.今、誰の期待に応えようとしている?
親、友人、恋人、上司、世間など、自分が強く意識している相手を具体的にしてみます。
2.誰にも評価されなくても、これはやりたい?
承認されるために望んでいることなのか、自分自身が望んでいることなのかを考えます。
3.「私はこういう人間だから」と可能性を閉じていない?
性格だと思っているものが、これまで使ってきた生き方のパターンではないか考えてみます。
4.これは自分が引き受ける課題?
自分の人生について決めることと、他人がそれをどう評価するかを分けます。
5.今の自分を否定しすぎていない?
理想の自分になるまで人生を始めないのではなく、今の自分からできることを考えます。
6.自分らしさを理由に、他者を無視していない?
自分の希望と同じように、相手の希望も尊重できているか考えます。
7.自分は、本当はどんな方向へ生きたい?
最終的には、「どんな人に見られたい?」ではなく、「どんな人生を生きたい?」と問い直します。
「自分らしさ」は見つけるものではなく、つくっていくものかもしれない
「本当の自分を見つけたい」
と思うことがあります。
でも、自分らしさはどこかに完成された形で隠れていて、それを発見すれば終わりというものではないのかもしれません。
選択する。
失敗する。
考え直す。
また選ぶ。
人と出会う。
価値観が変わる。
その積み重ねによって、「自分はこういうことを大切にする人間なのだ」と少しずつわかってきます。
昔の自分と違ってもいい
「昔はこんな人間じゃなかった」
と言われることがあります。
でも、人は変わります。
昔好きだったものに興味がなくなることもあります。
大切にするものが変わることもあります。
付き合う人が変わることもあります。
それを「自分らしくなくなった」と考える必要はありません。
変化することも、その人の人生の一部です。
「自分らしさ」を守るより「自分で選び続ける」
もし自分らしさを固定すると、
「私はこういう人間だから」
という新しい制約になります。
だから、
「自分らしさを守らなければ」
ではなく、
「その時々で、自分が大切にしたいことを考えて選ぶ」
くらいに考えてみます。
自分らしさは、変化しない性格ではなく、自分の人生との向き合い方に現れるものなのかもしれません。
自分らしく生きることと「幸福」
最後に、自分らしさと幸福について考えてみましょう。
自分らしく生きれば、毎日幸せになるのでしょうか。
必ずしもそうではありません。
自分で選んだ仕事でも、つらい日はあります。
好きな人と一緒にいても、喧嘩することがあります。
自分の道を選んでも、「これでよかったのかな」と迷うことがあります。
自分らしく生きることは、「迷わなくなること」ではありません。
むしろ、自分で選んだからこそ迷うこともあります。
幸福とは「理想の自分になること」だけではない
アドラー心理学から幸福を考えるなら、誰より成功することや、理想の自分になることだけが重要なのではありません。
自分を現実として受け入れる。
他者を仲間になりうる存在として見る。
自分にもできることがあると感じる。
そして、他者と協力しながら、自分の人生を引き受けていく。
そこには、「自分らしさ」と共同体感覚の両方があります。
まとめ|「自分らしく生きる」とは、自分の人生を自分で引き受けること
「自分らしく生きたい」
そう思ったとき、私たちは「本当の自分」を探そうとします。
でも、アドラー心理学から考えるなら、自分らしさとは、どこかに隠れている固定された性格を発見することだけではありません。
自分が何を大切にするのか。
どんな人と関わりたいのか。
どんな仕事をしたいのか。
何を引き受け、何を他者に委ねるのか。
そうした選択の積み重ねの中に、自分らしさは現れてきます。
もちろん、他人から認められれば嬉しい。
家族から応援してもらえれば安心する。
友達に理解してもらえれば嬉しい。
でも、それがなければ自分の人生を選べないとしたら、人生の判断基準は他者の中にあります。
だから、課題の分離によって、自分が引き受けることと他者にしか決められないことを整理する。
ライフスタイルを、「変えられない性格」ではなく、これまで使ってきた生き方のパターンとして見る。
今の自分を自己受容しながら、必要なら少し違う選択を試してみる。
そして、自分だけの世界に閉じこもるのではなく、他者と協力しながら生きる。
それが、アドラー心理学から「自分らしく生きる」を考える一つの道です。
「哲学を学ぶことを、もっと日常に。」
次に何かを選ぶとき、
「みんなはどう思うだろう?」
と考えたら、その問いを消す必要はありません。
ただ、もう一つだけ加えてみてください。
「では、自分は何を大切にしたいのだろう?」
そして、
「この選択を、自分の人生として引き受けられるだろうか?」
自分らしく生きるとは、誰の意見も聞かなくなることではありません。
自分勝手になることでもありません。
他者の声を聞きながらも、自分の人生の選択権をすべて手放さないこと。
人とつながりながらも、自分自身もその関係の中に存在すること。
「私はこういう人間だから」と自分を固定するのではなく、
「ここから、私はどう生きたい?」
と問い続けること。
その問いを自分自身に返し続けることが、「自分らしく生きる」ということなのかもしれません。