「承認欲求を否定する」とは?アドラー心理学の考え方をわかりやすく解説

「承認欲求を否定する」とは?アドラー心理学の考え方

「人から褒められたい」

「嫌われたくない」

「頑張ったことを認めてもらいたい」

「SNSに投稿したら、たくさん“いいね”がほしい」

こうした気持ちは、多くの人が一度は感じたことがあるのではないでしょうか。

私たちは他者と関わりながら生きています。

だから、誰かに認めてもらえたら嬉しいし、反対に否定されたら傷つくこともあります。

そんな私たちに対して、アドラー心理学ではしばしば、

「承認欲求を否定する」

という考え方が紹介されます。

しかし、

「人から認められたいと思ってはいけないの?」

「褒められて嬉しいのもダメなの?」

と疑問に思う人もいるでしょう。

実は、アドラー心理学は他者から認められること自体を否定しているわけではありません。

問題になるのは、

「他人から認められることが、自分の行動の目的になってしまうこと」

です。

この記事では、アドラー心理学における「承認欲求の否定」とはどういう意味なのか。

仕事、恋愛、SNSなど身近な具体例を交えながら、初心者にもわかりやすく解説していきます。


そもそも承認欲求とは?

承認欲求とは、簡単に言えば、

「他人から認められたい」

という欲求です。

たとえば、

「仕事で評価されたい」

「親から褒められたい」

「友人から好かれたい」

「恋人から大切にされたい」

「SNSでたくさん反応がほしい」

といった気持ちも、承認を求める気持ちと関係しています。

こうして見ると、

承認欲求そのものは、決して珍しいものではありません。

私たちは社会のなかで生きています。

誰かから、

「ありがとう」

「すごいね」

「助かったよ」

と言われれば、嬉しく感じるのは自然なことでしょう。

では、なぜアドラー心理学では「承認欲求を否定する」と言われるのでしょうか。


アドラー心理学は「認められること」自体を否定しているわけではない

ここは最初に理解しておきたい重要なポイントです。

アドラー心理学では、

「他人から認められて嬉しいと感じてはいけない」

と考えるわけではありません。

仕事を頑張って、

「ありがとう。助かったよ」

と言われた。

作品を作って、

「素敵ですね」

と言ってもらえた。

誰かを助けて、

「本当にありがとう」

と感謝された。

そうした承認や感謝を嬉しく感じること自体には、何も問題はありません。

問題になるのは、

「認められるために行動する」

ことが中心になってしまったときです。

つまり、

「認められたら嬉しい」

と、

「認められなければ意味がない」

は違います。

この違いを理解することが、「承認欲求の否定」を理解する第一歩です。


なぜ承認を求めすぎると苦しくなるのか?

では、なぜアドラー心理学は承認を人生の目的にすることを問題視するのでしょうか。

理由はとてもシンプルです。

他人からの評価は、自分だけではコントロールできないからです。

たとえば、一生懸命仕事をしたとします。

自分では、

「今回はかなり頑張った」

と思っています。

しかし上司は何も言ってくれません。

すると、

「こんなに頑張ったのに」

「誰も評価してくれない」

「頑張っても意味がない」

と思ってしまう。

ここで、

「頑張ること」と「評価されること」

が完全に結びついていると、評価されないだけで行動する意味まで失われてしまいます。

自分の行動の価値を、他人が決めることになるからです。


「褒められるために生きる」ということ

少し極端な例で考えてみましょう。

何かをするとき、いつも、

「これをやったら褒められるかな?」

と考える人がいたとします。

勉強する。

仕事をする。

服を選ぶ。

SNSに投稿する。

進路を決める。

結婚する。

そのすべてに、

「他人からどう思われるか」

という基準が入ってきます。

すると、少しずつ、

「自分は何をしたいのか」

よりも、

「何をすれば評価されるのか」

が重要になっていきます。

気づけば、

自分の人生なのに、判断基準を他人に預けている。

これが、アドラー心理学が承認を目的にすることを問題視する大きな理由です。


具体例1|仕事で評価されたい

仕事では、承認欲求が生まれやすいものです。

「上司から評価されたい」

「同僚より仕事ができると思われたい」

「会社から必要とされたい」

こうした気持ちが、努力するきっかけになることもあります。

しかし、

「評価されること」だけが目的になるとどうでしょうか。

上司が見ているときだけ頑張る。

評価されない仕事はやりたくない。

誰かに褒められないとやる気が出ない。

他人の成果が気になってしまう。

こうなると、自分の行動が他人の評価に大きく左右されるようになります。

アドラー心理学的に考えるなら、

「どうすれば評価されるか」

だけではなく、

「自分はこの仕事を通して何ができるだろう?」

「周囲にどんな貢献ができるだろう?」

と問い直します。

評価されるかどうかではなく、

自分が何をするか

へ視点を戻すのです。


具体例2|SNSの「いいね」が気になる

現代で承認欲求を考えるなら、SNSはとてもわかりやすい例です。

写真を投稿する。

何度も通知を確認する。

「いいね」が少ない。

少し落ち込む。

他の人の投稿を見る。

自分よりたくさん「いいね」がついている。

さらに落ち込む。

こうした経験がある人もいるでしょう。

SNSでは、

フォロワー数。

いいね数。

再生回数。

コメント数。

などによって、他人からの反応が数字として見えるようになっています。

すると、

「自分が何を表現したいか」

より、

「どうすれば反応してもらえるか」

が重要になってしまうことがあります。

もちろん、たくさん「いいね」がつけば嬉しく感じても構いません。

大切なのは、

「いいねがついたら嬉しい」

と、

「いいねがつかなければ、自分には価値がない」

を分けることです。


具体例3|恋愛で「嫌われたくない」

恋愛でも承認欲求は現れます。

「嫌われたくない」

と思うあまり、

本当は行きたくない場所にも行く。

言いたいことを我慢する。

相手の意見にいつも合わせる。

無理なお願いも断れない。

そうしているうちに、

「自分はどうしたいのか」

がわからなくなってしまうことがあります。

相手を思いやることは大切です。

しかし、

「相手を大切にすること」

と、

「嫌われないために自分をすべて相手に合わせること」

は同じではありません。

自分の気持ちを誠実に伝えることはできます。

でも、それを聞いて相手がどう感じるかまで自分には決められません。

ここは、アドラー心理学の課題の分離ともつながっています。


具体例4|「いい人」でいなければならない

承認欲求は、必ずしも目立ちたいという形だけで現れるわけではありません。

むしろ、

「いい人だと思われたい」

という形で現れることもあります。

頼まれたら断れない。

いつも笑顔でいる。

嫌なことを言われても我慢する。

自分より他人を優先する。

一見すると、とても優しい人に見えます。

しかし心の中では、

「断ったら嫌われるかもしれない」

「役に立たなければ、自分には価値がない」

と思っているかもしれません。

大切なのは、

「親切にすることをやめる」

ことではありません。

「なぜ自分はそれをしているのか」

を考えてみることです。

相手の役に立ちたいからなのか。

それとも、

嫌われないためなのか。

同じ行動でも、目的が違えば意味も変わります。


「承認欲求の否定」と「課題の分離」はつながっている

ここで、以前紹介した課題の分離とつながってきます。

自分が相手に誠実に接する。

これは自分が選べます。

しかし、

相手が自分を好きになるか。

自分を評価するか。

自分を認めてくれるか。

これは相手側の課題です。

つまり、

「どう行動するか」は自分の課題。

「どう評価するか」は相手の課題。

と考えることができます。

承認を人生の中心に置くと、

本来自分では決められない、

「相手からどう思われるか」

をコントロールしようとすることになります。

だから苦しくなるのです。


他人の評価を気にしない=自分勝手ではない

ここで大きな誤解があります。

「他人からどう思われてもいいなら、好き勝手に生きればいいの?」

という疑問です。

しかし、アドラー心理学はそのようには考えません。

むしろアドラー心理学では、

他者との協力

を非常に重視します。

家族。

友人。

職場。

地域。

社会。

私たちは一人で生きているわけではありません。

だから、

「他人から評価されなくてもいいから、自分さえ幸せならいい」

という考え方でもないのです。

重要なのは、

「評価されるために他人の役に立つ」

のではなく、

「他者とともに生きる一員として、自分にできることをする」

という方向へ視点を変えることです。

ここから、アドラー心理学の重要な考え方である共同体感覚につながっていきます。


「承認」から「貢献」へ

アドラー心理学の考え方を理解するうえで、ひとつ覚えておきたい視点があります。

それが、

「承認」から「貢献」へ

という方向転換です。

たとえば仕事をするとき、

「上司から褒めてもらえるかな?」

ではなく、

「この仕事で誰の役に立てるだろう?」

と考える。

SNSで何かを発信するとき、

「何人からいいねをもらえるかな?」

ではなく、

「自分は何を伝えたいのだろう?」

と考える。

誰かに親切にするとき、

「いい人だと思ってもらえるかな?」

ではなく、

「自分がしたいと思うからする」

と考える。

すると、行動の中心が、

他人からの評価 → 自分自身の選択

へ戻ってきます。

そして、その選択を他者との協力や貢献へ向けていく。

これがアドラー心理学らしい考え方です。


「褒める」と「勇気づけ」は何が違う?

承認欲求について学ぶと、

「それなら、人を褒めるのもダメなの?」

と思うかもしれません。

ここで登場するのが、アドラー心理学の勇気づけです。

アドラー心理学では、単純な賞罰によって人を動かすことよりも、

その人自身が協力的に生きる力を持てるように関わること

を大切にします。

たとえば子どもがお手伝いをしたとき、

「えらいね!いい子だね!」

と評価するだけではなく、

「手伝ってくれて助かったよ。ありがとう」

と、その行動がどのように役立ったのかを伝える。

すると、

「褒められたからやる」

ではなく、

「自分も誰かの役に立てる」

という感覚につながります。

勇気づけとは単なる褒め言葉ではなく、相手を対等な人間として尊重し、その人自身が協力的に生きていけるよう働きかけることです。


承認欲求を完全になくす必要はない

ここまで読んで、

「でも、やっぱり褒められたいと思ってしまう」

と感じる人もいるでしょう。

それで構いません。

承認欲求の否定とは、

承認されたい気持ちそのものを消すことではありません。

褒められたら嬉しい。

評価されたら嬉しい。

好きな人から好かれたら嬉しい。

それは自然な感情です。

重要なのは、

「それがなければ行動できない状態になっていないか」

と考えてみることです。

「認めてもらえたら嬉しい。でも、認めてもらうためだけにやっているわけではない」

この違いは、とても大きなものです。


承認欲求から自由になるための4つの問い

他人からの評価が気になったときは、自分自身に4つの問いを投げかけてみるといいかもしれません。

1.もし誰にも褒められなくても、私はこれをしたいだろうか?

誰にも見られていなかったら。

SNSに投稿できなかったら。

誰からも評価されなかったら。

それでもやりたいと思うでしょうか。

この問いをすると、

自分自身の目的

が少し見えてきます。


2.私は「何をしたいか」より「どう思われたいか」を優先していないだろうか?

「これがしたい」

ではなく、

「こう思われたい」

ばかりになっていないか考えてみます。

「成功した人と思われたい」

「優しい人と思われたい」

「幸せな人と思われたい」

「仕事ができる人と思われたい」

それ自体が悪いわけではありません。

ただ、

他人から見える自分と、自分が本当に生きたい人生は同じだろうか?

と考えてみることには意味があります。


3.その評価は、自分でコントロールできるだろうか?

どれだけ努力しても、

他人から必ず認めてもらえるとは限りません。

だから、

自分にできることと、できないことを分ける。

これは課題の分離にもつながります。


4.「評価されるか」ではなく「何に貢献できるか」を考えられないだろうか?

最後に、

「どう評価されるか」

から、

「自分に何ができるか」

へ視線を移します。

仕事。

家庭。

友人関係。

学校。

社会。

どんな小さな場所でも構いません。

評価を集めることではなく、

誰かとともに生きるために、自分ができることをする。

ここに共同体感覚への入口があります。


SNS時代だからこそ、アドラーの問いが響く

アドラーが生きていた時代には、もちろんSNSはありませんでした。

しかし現代は、

フォロワー。

いいね。

再生回数。

コメント。

評価。

ランキング。

など、

「他人からどれだけ認められたか」が数字で見える時代です。

他人からの評価を気にすること自体は、昔からあったでしょう。

しかし現代では、それを一日に何度も確認できてしまいます。

だからこそ、

「何人から評価されたか」

ではなく、

「自分は何を大切にして生きたいのか」

という問いが、以前にも増して重要になっているのかもしれません。

アドラーの思想が100年以上経った現在でも読まれている理由のひとつは、ここにあるように思えます。


承認欲求の問題は「自由」の問題でもある

もう少し深く考えてみましょう。

承認欲求について考えていくと、

最終的には自由という哲学的な問題につながります。

他人から認められるために、

服を選ぶ。

仕事を選ぶ。

意見を変える。

進路を決める。

生き方を決める。

もしすべてが、

「他人からどう思われるか」

によって決まっているとしたら、

それは本当に自分の人生を生きていると言えるでしょうか。

もちろん、人は社会のなかで生きています。

他人を完全に無視して生きることはできません。

だから問われているのは、

「他人を気にするか、気にしないか」

という二択ではありません。

他者とともに生きながら、それでも自分の人生を自分で選ぶことはできるのか。

ここに、アドラー心理学が単なる心理テクニックではなく、哲学にもつながっていく面白さがあります。


「誰にも認められなくていい」ではない

最後に、もう一度大切な点を確認しておきましょう。

承認欲求の否定とは、

「誰にも認められなくていい」

と強がることではありません。

人から認められたら嬉しい。

感謝されたら嬉しい。

好きな人から大切にされたら嬉しい。

その気持ちを否定する必要はありません。

問題なのは、

「認められなければ、自分の行動には価値がない」

と思ってしまうことです。

承認は、

目的ではなく、結果としてついてくることがあるもの。

そう考えてみると、少し見え方が変わります。


まとめ|「認められる人生」から「自分で選ぶ人生」へ

アドラー心理学で語られる「承認欲求の否定」とは、

人から認められたいという感情そのものを否定することではありません。

問題になるのは、

他人から認められることが、自分の行動の目的になってしまうこと。

です。

褒められたら嬉しい。

評価されたら嬉しい。

「いいね」がついたら嬉しい。

それで構いません。

しかし、

褒められなくても。

評価されなくても。

「いいね」が少なくても。

「それでも、自分はどうしたいのか」

を考える。

そして、

「どう思われるか」

ではなく、

「自分には何ができるだろう?」

へ視線を移してみる。

それが、承認だけに人生を預けないための第一歩になります。

私たちは誰かと関わらずには生きられません。

だから、他人の評価を完全に気にしなくなる必要もありません。

大切なのは、

他者とともに生きながら、自分の人生の判断まで他者に預けないこと。

なのかもしれません。

誰かに認めてもらうために生きるのか。

それとも、

自分が大切だと思うことを選び、その結果として誰かと喜びを分かち合うのか。

承認欲求について考えることは、

最終的には、

「自分の人生を生きるとは、どういうことなのか」

という問いにつながっています。

哲学を学ぶことを、もっと日常に。

次に「どう思われるだろう?」と不安になったとき、

そのあとに、もうひとつだけ問いを続けてみてください。

「では、私はどうしたいのだろう?」

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