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アドラー心理学は哲学なのか?心理学との違い
アドラー心理学について学んでいると、ふと疑問に思うことがあります。
「これは本当に心理学なのだろうか?」
目的論。
劣等感。
共同体感覚。
勇気。
他者との関係。
そして、
「自分はどう生きるのか」
という問い。
こうしたテーマを見ていると、心理学というよりも哲学や人生論のように感じる人もいるかもしれません。
実際、アドラー心理学は心理学の一つです。
正式には個人心理学(Individual Psychology)と呼ばれ、アルフレッド・アドラーによって築かれた心理学の体系です。
しかし同時に、アドラー心理学には、
「人間とはどのような存在なのか」
「人は他者とどう生きるべきなのか」
といった、非常に哲学的な問いも含まれています。
では、アドラー心理学は心理学なのでしょうか。
それとも哲学なのでしょうか。
この記事では、心理学と哲学の違いから、アドラー心理学がなぜ「生き方の哲学」のように読まれるのかまで、初心者にもわかりやすく考えていきます。
結論|アドラー心理学は「心理学」だが、哲学的な側面も強い
最初に結論から言えば、
アドラー心理学は分類上、心理学です。
アルフレッド・アドラーは医師・精神科医であり、自らの心理学を個人心理学(Individual Psychology)と名づけました。
人間の行動や感情をどのように理解するのか。
悩みや対人関係をどのように捉えるのか。
人をどのように援助するのか。
こうした問題を扱う心理学の体系として発展してきました。
しかし、アドラー心理学にはもうひとつ重要な側面があります。
それが、
「どのように生きることが望ましいのか」
という思想的・哲学的な側面です。
つまり、
心理学として人間を理解しながら、哲学のように「生き方」まで考える。
この二つの側面を持っていることが、アドラー心理学の大きな特徴です。
そもそも「心理学」と「哲学」は何が違う?
アドラー心理学について考える前に、まず心理学と哲学の違いを整理してみましょう。
両者はまったく無関係なものではありません。
むしろ、心理学は歴史的に哲学と深い関係を持ちながら発展してきました。
ただ、現在ではその目的や方法に違いがあります。
心理学|人間の心や行動を理解する
心理学では、
「人はなぜこのように行動するのか」
「感情はどのように生まれるのか」
「記憶はどのように働くのか」
「人間関係は心理にどのような影響を与えるのか」
といった問題を研究します。
現代の心理学では、観察、実験、調査、統計などを使いながら、人間の心や行動について検証することが重視されています。
つまり心理学は、
「人間は実際にどのように考え、感じ、行動するのか」
を明らかにしようとする学問だと言えます。

哲学|人間や世界について根本から考える
一方、哲学では、
「人間とは何か」
「幸福とは何か」
「正しい生き方とは何か」
「自由とは何か」
「善とは何か」
といった、より根本的な問題を考えます。
必ずしも実験によって答えを出すわけではありません。
概念を整理し、問いを立て、論理的に考えながら、
「そもそも、それはどういうことなのか」
を掘り下げていきます。
たとえば、
心理学が、
「人はどんなときに幸福を感じるのか」
を研究するとすれば、
哲学では、
「そもそも幸福とは何なのか」
という問いそのものを考えることがあります。

心理学と哲学の違いを簡単に整理すると
非常に大まかに整理すると、
心理学
「人間はどのように考え、感じ、行動するのか」
を研究する。
哲学
「人間とは何か」「どう生きるべきか」
を考える。
という違いがあります。
ただし、実際には両者の境界は完全にはっきりしているわけではありません。
そして、その境界に非常に近いところに存在するのが、アドラー心理学なのです。
なぜアドラー心理学は「哲学」のように感じるのか?
では、なぜアドラー心理学は一般的な心理学よりも哲学のように感じられるのでしょうか。
大きな理由は、アドラーが単に、
「人間の心はこういう仕組みです」
と説明するだけではなく、
「では、人はどう生きればよいのか」
という問題まで考えたからです。
その特徴を見ていきましょう。
1.「人はどう生きるか」を考えるから
アドラー心理学には、
「自分はこれからどう生きるのか」
という問いが何度も登場します。
たとえば、過去に失敗した経験があったとします。
心理学として考えれば、
その経験が現在の感情や行動にどのような影響を与えているのかを分析することができます。
しかしアドラーは、そこで終わりません。
「では、あなたはこれからどうしたいのか」
という問いへ進みます。
過去そのものを変えることはできません。
しかし、
これから何を目指すのか。
どのような意味を与えるのか。
どのように行動するのか。
については考えることができます。
ここには、
「人間はどのように人生を生きるべきなのか」
という哲学的なテーマがあります。

2.「人生の意味」を扱うから
哲学では古くから、
「人生にはどんな意味があるのか」
という問いが繰り返し考えられてきました。
アドラーも、人間の人生を考えるうえで「意味」を重要視しました。
同じ出来事が起こっても、人によって意味づけは異なります。
失敗を、
「自分には才能がない証拠」
と考える人もいれば、
「次に改善するための経験」
と考える人もいます。
出来事そのものだけではなく、
「その出来事を自分がどのように意味づけているのか」
を見る。
これは心理学的な人間理解であると同時に、
自分の人生にどんな意味を与えるのか
という哲学的な問題にもつながります。
3.「人間とは何か」という前提を持っているから
アドラー心理学には、
「人間とはこういう存在である」
という独自の人間観があります。
たとえばアドラー心理学では、人間を心と身体、理性と感情などにバラバラに分けるのではなく、ひとつの統一された存在として捉えることを重視します。
また、人間は一人で完結している存在ではなく、
家族。
友人。
学校。
職場。
社会。
といった他者との関係のなかで生きていると考えます。
つまり、
「人間とは、社会のなかで他者とともに生きる存在である」
という人間観があるのです。
「人間とは何か」
という問いは、まさに哲学が長い歴史のなかで考えてきたテーマでもあります。
4.「よい生き方」を示そうとするから
ここが、アドラー心理学が哲学的に見える最大の理由かもしれません。
心理学が、
「人は実際にどう行動するのか」
を説明するだけなら、
そこから必ずしも、
「ではどう生きるべきか」
という答えは出てきません。
しかしアドラー心理学には、
共同体感覚
という重要な思想があります。
人は孤立して生きるのではなく、
他者とつながり、
協力し、
自分も共同体の一員であると感じながら生きる。
アドラー心理学では、こうした方向を望ましいものとして考えます。
つまり、
「人間はこういう存在です」
という説明だけでなく、
「こういう方向に生きることが望ましい」
という価値の問題まで踏み込んでいるのです。
ここは非常に哲学的です。
5.「自由」と「責任」という問題につながるから
アドラー心理学を学んでいると、
「過去だけで現在が決まるわけではない」
という考え方に出会います。
これは一見すると前向きな考え方ですが、もう少し深く考えると、
自由と責任
という哲学的な問題につながっています。
もし過去によってすべてが決まっているなら、
「自分にはどうすることもできない」
と考えることもできます。
しかし、
「これからの行動を選ぶ余地がある」
と考えるなら、
そこには自由があります。
同時に、
「では、自分はどう選ぶのか」
という責任も生まれます。
自由には責任が伴う。
自分の人生を選ぶとはどういうことなのか。
こうした問いは、実存主義などの哲学とも重なって見えるテーマです。

アドラー心理学の「理論・思想・技法」という3つの側面
アドラー心理学を理解するうえで、とてもわかりやすい整理があります。
それが、
理論
思想
技法
という3つの側面です。
理論|人間をどう理解するか
アドラー心理学には、
目的論。
全体論。
主体性。
社会統合論。
仮想論。
といった、人間を理解するための基本的な理論があります。
たとえば、
「人間は目的に向かって行動する」
「人間をひとつの全体として見る」
といった考え方です。
これは、
人間の心や行動をどう理解するか
という心理学の部分です。
思想|どのように生きることを目指すのか
一方で、
共同体感覚
などは、単なる人間の説明だけではありません。
他者と協力する。
自分が共同体の一員であると感じる。
他者への関心を持つ。
つまり、
「どのような方向に生きることが望ましいのか」
という価値観が含まれます。
ここが、アドラー心理学の思想的・哲学的な側面です。
技法|実際にどう援助するのか
さらにアドラー心理学には、
カウンセリング。
教育。
子育て。
勇気づけ。
など、実際の生活や心理援助に活用される方法があります。
つまり、
考えるだけでなく、実際にどう行動するか
という実践的な側面もあります。
この3つが組み合わさっているため、アドラー心理学は単なる哲学でも、単なる心理学理論でもない独特の体系になっています。
アドラーは哲学者だったの?
では、
アルフレッド・アドラーを「哲学者」と呼んでもいいのでしょうか?
一般的な分類としては、アドラーは医師・精神科医・心理学者として扱われます。
そのため、
「アドラーは哲学者である」
とだけ説明すると少し不正確です。
しかし、
アドラーの思想には非常に哲学的な側面がある
と言うことはできます。
実際、彼が考えたのは心理症状だけではありません。
人間。
社会。
教育。
協力。
人生の意味。
幸福。
生き方。
といった広いテーマについて考え続けました。
そのため現在でも、アドラーは心理学だけでなく、教育や自己理解、人生哲学の文脈でも読まれています。
アドラー心理学と哲学は、何が一番違う?
ここまで見ると、
「それならアドラー心理学は、ほとんど哲学なのでは?」
と思うかもしれません。
しかし、両者には重要な違いがあります。
アドラー心理学はもともと、
人間の心理を理解し、実際の援助へつなげるための心理学
として発展してきました。
アドラーは医師として患者と向き合い、その後は教育や児童相談などにも取り組みました。
つまり、
「人間とは何か」
と考えるだけではなく、
「目の前の人をどう理解し、どう援助するのか」
という実践が重要なのです。
哲学が問いを深く考えること自体に大きな価値を置くのに対し、
アドラー心理学では、
その考え方を実際の人間関係や教育、生活へどう活かすか
というところまで進みます。
「生き方の哲学」としてアドラー心理学を読む
では、私たちはアドラー心理学をどのように読めばいいのでしょうか。
心理学として専門的に学ぶこともできます。
しかし、専門家ではない私たちにとっては、
「自分の生き方を考えるための視点」
として読むことにも大きな意味があります。
たとえば、
「他人と比べて落ち込んでしまう」
とき。
アドラーの劣等感について考えてみる。
「過去の失敗から動けない」
とき。
目的論について考えてみる。
「人間関係に疲れている」
とき。
共同体感覚や課題について考えてみる。
そして、
「私はこれからどう生きたいのだろう?」
と自分自身に問いかける。
この瞬間、アドラー心理学は単なる知識ではなくなります。
自分の人生について考えるための、
ひとつの哲学的な道具
になるのです。

哲学と心理学、どちらを学べばいい?
ここまで読んで、
「自分は哲学と心理学、どちらを学べばいいのだろう?」
と思った人もいるかもしれません。
答えは、
どちらか一方を選ぶ必要はありません。
心理学を学ぶと、
「人はどのように考え、行動するのか」
という視点が増えます。
哲学を学ぶと、
「そもそも、自分はどのように生きたいのか」
という問いが増えます。
そしてアドラー心理学には、その両方につながる入口があります。
だからこそ、
心理学に興味を持った人が哲学へ進むこともできますし、
哲学に興味を持った人が心理学へ進むこともできます。
学問の名前よりも、
「自分は何を知りたいのか」
という問いから始めてみてもいいのかもしれません。
アドラー心理学を哲学として考えると見えてくるもの
アドラー心理学を単なる「悩み解決の方法」として読むと、
「どうすれば人間関係が楽になるか」
「どうすれば自信を持てるか」
という実用的な部分に目が向きます。
もちろん、それも大切です。
しかし、一歩深く読むと、
アドラーが考えていたのは、
「人間はどのような存在なのか」
という問題だったことが見えてきます。
人は自由なのか。
過去によって決められるのか。
他人とどのように生きるのか。
幸福とは何なのか。
自分の人生に意味を与えるとはどういうことなのか。
こうして問いを広げていくと、
アドラー心理学はそのまま哲学への入口になります。
まとめ|アドラー心理学は「心理学」と「哲学」の間をつなぐ
アドラー心理学は、
分類上は心理学です。
アルフレッド・アドラーが創始した個人心理学という心理学の体系であり、人間の行動や感情、対人関係を理解し、実際の援助につなげるために発展してきました。
しかし同時に、
人生の意味。
自由。
責任。
他者との関係。
共同体。
そして、
「自分はどう生きるのか」
という哲学的な問いを強く含んでいます。
だから、
「アドラー心理学は哲学なのか?」
という問いへの答えは、
「心理学である。ただし、その中には非常に強い哲学・思想的な側面がある」
と考えるのが最もわかりやすいでしょう。
そして、ここがおそらくアドラー心理学のおもしろいところです。
心理学として、
「人間はどう動くのか」
を考える。
そこから哲学として、
「では、自分はどう生きるのか」
へ進んでいく。
知識を覚えるだけで終わらず、自分自身の人生へ問いが返ってきます。
哲学は、難しい本の中にだけあるものではありません。
仕事に悩んだとき。
人と比べてしまったとき。
過去を後悔したとき。
これからの人生について迷ったとき。
そんな日常のなかで、
「私はどう生きたいのだろう?」
と考えた瞬間から、哲学は始まっています。
哲学を学ぶことを、もっと日常に。
アドラー心理学を入口にして、人間や幸福、自由、生き方について、もう少し深く考えてみてはいかがでしょうか。